感傷的な夏より—連弾する午後の夢
前田ふむふむ
この草のにおいを意識し始めたのは、
いつからだろうか。
翳る当為が、こおりのように漂い、
透きとおる幻視画のような混濁のなかで、
きみどりいろに塗された、切りたつ海岸線が浮ぶ。
冬の呼吸器をつけた病棟の空に、
放物線を描いて、
記憶の皮を剥いている季節は、
死を、無機質な雪のように、降り積もらせた。
ふるえる声が、
吐きだされる蛍光灯の熱、明度をあびて、
繊毛のように、散りばめた血液の
書架に溶けていく。
追いかける霞んだ視線は、祖父、父の跡を、
どこまでも、暗闇のふちを歩いた。
あのときも、草のにおいは、
わたしの朽ち果てるばかりの止まった肉体を、
蔽っていた。
なつかしい少年の頃の、父の手、母の手が、
草笛のように、やわらかく見えた。
わたしは、噎せ返るような草のにおいの在りかを
瞑れた意識のなかで反芻しながら、
淡い声を零して、追いかける。
なにを。――祖父の、父の、とりとめのない水脈を。
意識のふもとから、
遠く閃光が、うすく開いた眼球に映ってくる。
――溢れるひかりの波。
心電図の波形が、鼓動を取り戻して、
世界は、医師たちが見守るエタノールの海を
泳いだ。
・・・・・
わたしは、使い古された語彙が、
寝静まるベッドで、
誕生の産声をもたない、
二度目の、――始めてからは、断絶した、
鋭いカッターで自傷したような、
空虚なひかりをあびて、――
ひかり、
うつむくひかり、ひかる、
ひかって、
反復する、重曹の泡のような夢が、
突き刺さる胸の痛みとともに、弾けた。
ここには、確かに、わたしがいる。
覚えていたわたしがいる。
手折れた源泉をなぞりながら。
ベッドはうすく湿っている。
汗は全身を夏の衣で纏い、熱い――、
とても、熱く連弾する――。
・・・・・
暑い夜が、クラクションを上げた第七環状線を流れる。
液状化する夥しいライトの交錯。
後部シートでは、カーラジオが、DJを呼び出して、
わずかに耳打ちしては、途切れる。
眼を追えば、そとは、単調な黒い光景。
草のにおいが、わずかに揺れている。
わたしは、あなたの跡を歩いていけるのだろうか。
こわばった掌を見れば、
草は、まだスケッチブックのなかで萌えている。
朝は、まだ遠い時計の秒針のなかにいる。
安らぐ暗闇の深度を増せば、
スケッチブックの、
時計の、周りで霧雨が、
よわく降りそそぐ。
カークーラーに咳き込む、わたしに、
草のにおいが、
胸のおくを過ぎる。
夕陽のなかで遊ぶ少年の顔をして、
草は、笑う。