牛の魔法使い
楠木理沙

わたしは生まれて初めて牛をかっこいいと思った
君は赤い牛が真ん中でにらみをきかせた黒いTシャツを着ていた
いいだろ マイケル・ジョーダンがいるシカゴ・ブルズのだぜ
得意そうにTシャツを広げると そのままレイアップシュートを決めて見せた
お前にシュートの仕方を教えてやろうか
振り返り様に見せた君の笑顔に ただ頷くことしかできなかった

わたしはマイケル・ジョーダンが誰かを知らなかったけれど
たぶん とてもかっこいい人なんだと思った
シカゴ・ブルズも知らなかったけれど
たぶん とてもすごいチームなんだと思った



スポーツ用品売り場で 牛と視線を合わせないようにハンガーを引っ張ると
そのまま母に手渡した
母は怪訝そうな顔つきで こんなのがほしいのと小さく笑った

サイズを見なくて買ったTシャツは ワンサイズ大きくてとても後悔した
そのうち背が伸びるわよ
今まで何度聞いたかわからない 鏡越しに聞こえた母の声が 
やたら恨めしく思えた



ぶかぶかのTシャツにスパッツをはいたわたしは
近所の公園で君を待ち続けた
遅刻してきた君は わたしの姿に驚くと恥ずかしそうに駆け寄ってきた
二頭の牛が 夕焼けに染まって真っ赤になっていた

結局 わたしはレイアップシュートを決めることは一度も出来なかった
君はダブルクラッチやフェイダウェイシュートなんていう
絶対に真似できない技を見せてくれた

最後にいいものみせてやると言うと
ボールを片手に持って走り出し
高く飛び跳ねてそのままリングに叩き付けた
いつまでもリングは悲鳴を上げ 
そこにぶら下がった君の影が どこまでも伸びていた

ダンクって言うんだぜ
すごい 知ってるよ それ知ってるよ
わたしの必死さに君は思わず噴き出して 低い笑い声が公園中に響いた



一本だけ点いた電灯の下を歩きながら
君はわたしのTシャツを引っ張り サイズはこれぐらいがいいんだぜと言った
そして これじゃあ兄弟みたいだなあと笑ったけれど 
わたしは頷くことができなかった

あのときペアルックだよと言えば何かが変わっていただろうか
きっと 何も変わりはしなかったのだろうけれど

難しいシュートの名前
Tシャツは少し大きいほうがいいこと
マイケル・ジョーダンはシカゴ・ブルズに所属するNBAのスター選手だということ
断片的なバスケットボールの知識と君の後ろ姿が わたしの脳みそを支配していたんだ



ある日マイケル・ジョーダンの引退がニュースで流れていた
そこにはワシントン・ウィザーズというチームの
白と青で彩られたユニフォームを纏ったジョーダンがいた
もうシカゴ・ブルズのジョーダンではなかった
ウィザーズは魔法使いをロゴにしていた
牛だって魔法を使えるのに
なんだか 少しだけ悔しさがこみ上げてきた

いつからか着なくなったTシャツを 押入れの奥深くから引っ張り出した
袖を通してみると 想像よりも小さく思えた
今ならレイアップシュートを上手に決めることができるだろうか
わたしは胸の真ん中が 角でちくりと刺されたような痛みを覚えた



あら 寝巻きにちょうどいいんじゃないの
いつの間にか部屋に入ってきた母が 鏡越しにわたしの姿を覗き込んでいた

これはだめなのっ わたしは我に返って大きな声で答えると 
母の前でレイアップシュートの真似をして見せた


自由詩 牛の魔法使い Copyright 楠木理沙 2007-07-25 00:32:29
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