世界の終わりについて
大覚アキラ

 一月の休耕田を、妹とふたり手をつないで歩いていた。

 灰色に塗り潰された空からは今にも雨かみぞれが落ちてきそうで、どこか雨宿りができそうな場所を求めて、ぼくたちは黙りこんで歩き続けていた。とはいうものの、すでにぼくたちは頭のてっぺんから爪先まで泥水にまみれていたのだ。いっそのこと雨が降ってくれたほうが、身体中の泥水を洗い流してきれいにしてくれるのだろうということはわかってはいたが、これ以上寒い思いをしたくはなかったのだ。


 小学二年生の冬休み、ぼくはクリスマスに買ってもらったばかりの自転車の後ろに妹を乗せ、とにかく遠くに行ってみることにしたのだ。目的地などあるはずもない。ただ、真新しい自転車はまるで魔法のような速さでぼくたちを運んでくれたし、実際ぼくたちは随分遠くまで辿り着いたのだ。普段、家の窓から遠くに見える高い鉄塔のすぐそばを通り、大きな橋を越え、見たことのない制服を着た高校生たちが並ぶバス停を横目に見て、自転車はぼくたちを乗せて素晴らしい速さで飛ぶようにぼくたちを運んでくれた。真新しい自転車。そして、その後ろに妹を乗せて走る。ぼくは自分がとてもかっこよくなった気がして、自慢げにペダルを漕ぎ続けた。

 ほんの一瞬のことだった。背中から妹が「お兄ちゃん、あそこに猫がいるよ」と指差す方を見た、その一瞬のできごとだ。緩やかな坂道の途中だったが、調子に乗ってスピードを出していたぼくはあっけないほど簡単にハンドル操作を誤った。ガードレールも柵もない道端の側溝に、ぼくたちは自転車ごと転落したのだ。
 側溝は、まさにドブ川といった様相で、子どもの腰ぐらいの深さの澱んだ水が流れていた。幸いにも、ぼくも妹も擦り傷程度で済んだのだが、泣きじゃくる妹をなだめるのにぼくは一苦労した。側溝はかなり深く大人の背丈ほどもあり、容易には這い上がれそうもなかったが、すぐそばにちょっとした鉄製のハシゴ状のものが据え付けてあり、そこからどうにか脱出できそうだった。しかし、子どもの力ではどう足掻いても自転車を抱え上げることはできず、やむなく自転車はそこに置き去りにすることにした。

 そして、ぼくたちは悪臭を放つ泥水まみれのまま、手をつないで歩き始めたのだ。


 ついさっき、ピカピカの自転車にまたがって颯爽と駆け下りた坂道を、汚れきった姿でのぼっていくぼくたちはきっととてもみすぼらしくてみっともないんだろうと思った。途中、お節介なおばさんがぼくたちを見て「どうしたの一体?大丈夫?」と声を掛けてきたりもしたが、ぼくは黙ったまま目も合わさずに歩き続けた。声を掛けられること自体が恥ずかしいことのように思えたし、おばさんに何か答えたら、その瞬間に涙が出てしまいそうな気がしたからだ。お願いだから放っておいてほしかった。
 人にじろじろ見られるのが嫌で、ぼくたちはバスの通る大きい道(といっても田舎の細い道なのだが)を避けて、田んぼの中を歩いていくことにした。真冬の休耕田には人影もなく、とりあえず例の高い鉄塔を目指して歩けば、なんとか家には帰りつけると思ったのだ。

 家まではまだかなりの距離があるはずだった。幼稚園に入ったばかりの妹は、乾いた田んぼのでこぼこや刈り取られた稲の根に足を取られて転びかけ、そのたびに泣きそうな顔でぼくのことを見上げていた。だが、ぼくはただひたすら妹の手をしっかりと握って、歩き続けるより他にできることはなかった。小学二年生の子どもだったぼくには、妹にかけてやる言葉も思いつかなかったし、なによりもぼく自身が疲れ切っていた。
 雨がぽつりぽつりと降り始めた。雨宿りできる場所などどこにもなく、冷たい雨に打たれながらぼくたちは歩いた。歩いても歩いても、鉄塔にはなかなか近づかなかった。春先には一面のレンゲ畑になるこの休耕田も、いまはただ広大な灰色の土地でしかなかった。とにかく灰色で、冷たくて、濡れていて、妹の濡れた髪からぼんやりと湯気が立ち上って、ぼくはそれを見て「世界の終わりみたいだ」と思った。

 すっかり暗くなった頃に、ぼくたちはようやく家に着いた。玄関先に出て不安げに辺りを見回している母の姿を見た途端、ぼくと妹の中で何かが弾けてしまって、泣きながら母に駆け寄ったのを覚えている。自転車は後で父が拾いに行ってくれて、無事に家に戻ってきた。ぼくはこっぴどく叱られるだろうと思っていたのだが、不思議と両親はぼくをたいして叱らず、行き先を告げずに遠方に行ったことと二人乗りをしたことについて軽く咎められた程度だった。


 ぼくにとってこの体験は、映画『スタンド・バイ・ミー』のような甘く切ない少年の日の思い出なんかではない。芥川龍之介の『トロッコ』のような人生の悲哀に重ね合わせるようなエピソードでもない。ただ、ぼくの中にある「世界の終わり」のイメージというのは、あの日ずぶ濡れになって見た灰色の一月の休耕田の光景そのものだ。それがどうした、といわれても、ただそれだけの話だ。


散文(批評随筆小説等) 世界の終わりについて Copyright 大覚アキラ 2007-07-23 15:12:02
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