サスペンス
きりえしふみ

 (嘗て) たった一人の人間のものだった巨大な悪意が
 今や沢山の人たちの中で薄められている 掻き混ぜられて沈殿してゆく
 姿なき独裁者
 人々は嫌悪し それと同時に驚愕する
 銃口を向けあう 《たった一人……》の筈だった 皆の心で薄められた
 引き伸ばされた 姿なき悪意に

 気品漂う紳士淑女らにも そいつは潜んでいる
 いつもは黙り込んでいて ある夜饒舌に語り出す
 美味しげなアルコール 掻き混ぜるビビットな色彩
 そして ふと
 表面化する……ふと 冷笑が浮かび上がる
 深く 両目を縫い付けていたマクスから……ふと
 生きた目玉が飛び出したかのように それは
 水面の中央で……そして《彼女》の口許で

  《1+1=2》という簡潔な数式が 通用しない

 《彼女》の手に手錠がかけられたとき 既に
 もう《それ》は 雑踏の中へ逃れている
 幾つもの急く足音 急ぎ走る人たちの荒い息の流れを隠れ蓑に

 人から人へ 移行してゆく 寄生してゆく
 新種のそれ……それら生命体の
 《目撃者A》は縺れた舌先を使ってこう言う

  「そして そいつは私の目の前で……!」

 手錠により拘束された 今は犯罪者の
 ……目撃者A

 (c)haine kotobuki 2007/07/22


自由詩 サスペンス Copyright きりえしふみ 2007-07-23 04:00:34
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