24歳のニール・ヤングがOnly Love Can Break Your Heartと歌っているよ
んなこたーない

これまで誰かに「愛している」と言ったこともなければ、言われたこともない。
これは不幸なことだろうか? ええ、たしかに。
破滅のチャンスを失してきたのは、やはり不幸なことだと言わざるをえない。
地獄へ落ちるためには、天の国へ至るのと同じく狭き門をくぐらねばならない。

もちろん今までにも幸福感と快楽の虜になったことはあったに違いないのだが、
そこに「愛」という言葉を介入させることは執拗に避けてきた。
というのも、「愛」という言葉が口に出された時点で、興が醒めてしまうように思われたからだ。
そんなことで醒めてしまうようでは、さぞかし程度の低い幸福感と快楽しか味わったことがないのだろうと
同情されてしまいそうだが、実際、その程度のものしか知らないというのが偽らざる真実である。
欲望は満たされれば解消してしまう。得恋は失恋と同じくらい悲劇であるという考えもある。
恋愛はとくにセックスが絡むので欲望の占める割合が大きくなるのだろう。
しかし、こんなバカバカしいことがあるだろうか?
何が悲しくてシジフォスを模倣しなければならないのだろうか。
なんにしろ、環境や世代で多少の違いはあっても、「愛」という言葉は、
使えば重いか軽いかのどちらか極端になりがちで、扱いに困る言葉であるに違いない。

今度、ガンジーの自叙伝(世界の名著63)を読んで思ったのは、
かれにはぼくらが普段使う意味での「愛」の観念が一切欠如しているということで、
これはとりもなおさず、かれの思想が一貫した反ヒューマニズムであるということである。
これは不名誉なことではないし、別に咎めているわけでもない。
弁護士、政治活動家、であると同時に宗教家でもあったガンジーにしてみれば、
人間を選ばず、神を選ぶのは当然のことであったのだろう。

ガンジーは次のように書いている。
「神を伴侶にしようと欲する者は、孤独を持するか、それとも全世界を伴侶にするかせねばならない」
ぼくらにとって愛とは互いの孤独を交換しあう試みであるのだから、
あえて孤独を持するという決意にはどこか突飛な印象をうける。
また、全世界を伴侶とするというのは比喩的に言うことはできても、実際には不可能事である。
というのも、対象をその他から区別しなければ、ぼくらにとって愛は成立しないか、
まったくのナンセンスに陥ってしまうからだ。
全世界を愛するということはどの一個人も愛さないということと同義であって、
事実、ガンジーは特定な人間と親密になることにたいして注意を促している。
神を伴侶にしようと欲さない者は、「完全さ」をあきらめる以外にない。

来世を信じず、汲々と現世利益を追求するぼくらのような凡夫には、
かれの不殺生、徹底的な禁欲、菜食主義といった有名な行動綱領は、あまりに非人間的すぎるし、
実際、聖者というのは人間であることを辞めた人間のことなのではないかとさえ思えてくる。
ジャンキーや狂人、あるいは身障者などが神聖視される傾向にあるのは、文学的なレトリックにすぎないのだろうか。
あるいは、こんなことを言うのは罪深いことなのだろうか。

individualの放棄がすなわち自己実現であるというような宗教的態度を承服することは難しい。
自我の主張が神の存在証明であるのではなく、神の不在証明から自我の主張が始まるとする。
これはアウグスティヌスの告白と近代人の告白の違いでもある。

しかし、どんなに人間を信用してみたところで、現実には個人の力では及ばないなにものかの強制力が働いている。
ぼくが生きてきたこのおそよ四半世紀を振り返ってみても、
たとえば、ひととの出会いと別れにしたって「つくべき縁あればともなひ、はなるるべき縁あればはなるることのある」と
あるように、それを偶然と呼ぼうが、運命と名づけようが、ぼくにはどうすることもできなかったのである。
己の無力さを思い知らされるのはけっして愉快なことではないが、
そんなことは生きていればあらゆる局面において遭遇せざるをえないものだ。

それでは、徹底的にアンガージュしない、はなから深い人間関係を期待しない、という態度はどうだろうか。
たしかにこれはクールでスマートであるに違いはないが、
結局貧困な感情生活を送る羽目になるので、悪循環にしかならないのではないか。
また、他人から傷つけられるのを避けるために、あらかじめ大きな傷を背負っておくという方法も考えられるが、
これは明らかに一種の病気だろう。

神を選ぶか人間を選ぶかは、個人の自由になるのだろうが、
どちらにしろ、なんらかのヴィジョンなくして積極的な生を営むことは難しい。
それでは、人間にとって窮極のヴィジョンとは何かといえば、おそらくは死を克服することであろう。
愛もまた不滅化の行為であろうし、詩をはじめ諸芸術も同様であろう。
しかし、近・現代において提出される窮極のヴィジョンは、
ただでさえ矮小なうえ、病的であり畸形であり破滅的な傾向にあるように思われる。
これは一見幸福なユートピアでも、その健全さゆえにかえって人工料過多で不健康に思えてしまうということでもある。

その意味では、ぼくらにとっていまだにボードレールは偉大な同時代人なのである。
Yes, only love can break your heart
What if your world should fall apart?


散文(批評随筆小説等) 24歳のニール・ヤングがOnly Love Can Break Your Heartと歌っているよ Copyright んなこたーない 2007-07-23 03:11:58
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