ドルイド谷垣の『新釈奴隷道!』 第一回
人間

「女性との交際不慣れで…」暴走32歳M男の空砲度
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/57884/
容疑者は仕事場の近くに住むSEのアルバイト女性(20)に一目惚れし、
家に突然訪ね、ドアチェーンをした扉越しに「好きです。あなたの奴隷にしてください」と思いを伝え、
女性に拒否されると、腕をつかみ引っ張るなどの暴挙に及んだが、警戒中の警察官に御用となった。
容疑者は動機について「女性との交際に慣れていなかった。かわいがってもらいたかった」と供述。
云々。


気持ちは痛い程分かります。
人生において数える程しかない一目惚れというものは、食卓に添える花のように、
生活に豊かな彩りと芳香を加えてくれるものです。
そして、恋愛に晩熟な男性が独身で30歳も過ぎれば、
尋常ではない寂しさに常軌を逸した凶行に及びたくなる時もありましょう。

しかし。
私は憤怒に燃えています。
かような馬鹿者が居るからして、いつまでも奴隷の社会的地位は向上しないのです。
此奴の行為は、奴隷への侮辱であります。
ましてや、M男を名乗るとは不届き千万です。
(余談ですが、もし加害者が真性のマゾヒズムを持つ”M男”であったなら、
 加害者に「奴隷になる事を拒否された」時点で、既に嗜虐による性的快楽を覚えていた筈であり、
 強引に腕を掴んで強要する、などといった必要は無かったとも考えられます。)
今件の加害者は奴隷根性の欠片も無い幼稚な自己中心男でしかありません。
否、奴隷の皮を被った無思慮無教養の暴君です。
これは絶対に許されません。

そこで私、ドルイド谷垣が、奴隷を目指す紳士淑女の為に「奴隷道」を指南させて戴こうと思います。
勿論、私も修行中の身、至らぬ所も多々御座いましょうが、お互いに切磋琢磨し、
より完全な奴隷を目指しましょう。

まず、
最初に注意したいのが、加害者の認識不足です。
「奴隷にするかどうか」も「かわいがるかどうか」も”御主人様が”決める事であり、
奴隷は常に「される側」だという根本的な立場を理解しなくてはなりません。
奴隷の基本姿勢は”受身”です。
それも、自我の意思や積極性を一切排除した”完全なる受動”でなくてはなりません。
何も望まず考えず、出された命令だけを黙々と遂行する従順さ、それが奴隷の本質であります。

次に、
加害者の客観的判断力の欠如です。
奴隷として無条件に選ばれるのは、男女限らず、奴隷が「若くて美しい」場合にのみ限られます。
今回を例に採ってみても、20歳の娘にとって32歳の男は、若さも美しさも有りません。
では、若くも美しくもない、此奴のような下衆が、奴隷として選ばれるには、どうするのか?
品性、教養、鍛錬、等々によって己に商品としての利用価値を付加する必要があります。
インテリアに例えてみましょう。
機能的には劣っていても、デザインの良いインテリアは、ハイセンス志向の顧客層には売れます。
同じように、デザインは多少イビツでも、機能的に優れていれば、少なからず需要は有ります。
この例えからもお分かりになると思いますが、奴隷は”物”として扱われる訳です。

ところが、
今件の大馬鹿者は、清純な主従関係の中に身分不相応の醜い自我を持ち込み、
仮にも未来のご主人様の御宅に突然訪問し、その汚らわしい手で神聖なる御腕を掴み、
己の下種な欲望を無理矢理に押し付ける、等という、有るまじき愚行を犯しました。
全く無礼の骨頂であります。
奴隷未満の分際で、未来の御主人様に無闇に恐怖感と驚きを与えてしまった罪は、万死に値します。

「御主人様の喜びが我が喜び」
この基本的且つ絶対的な奴隷根性なくして、奴隷を名乗る事は許されません。

醜い上に努力もしない人間は、その一生涯、誰の奴隷にも成る事は出来ないでしょう。
強いて言うならば、冷たい経済の奴隷として、安価に労働力を搾取される無内容な粗大ゴミに過ぎません。
そして、
「御主人様に全身全霊で御奉仕する」という”甘美なる至高の歓喜”を味わう事もなく死んでいくのでしょう。


日本初の奴隷学者であり近代日本奴隷学の礎を築いた藻殿木網はこう言いました。
「奴隷とは、主人への徹底的な没我献身によって”象徴への信仰”を実現する者です」
これは江戸時代の武士道”滅私奉公”とも重なる「生命を賭けた奉仕」についての言及であります。
藻殿は著書「奴隷道」の第三章で、社会人類学の中に精神主従力学を応用し、
古今東西の優れた哲学者や思想家は全て奴隷であった事を明らかにしました。
「宗教は”人類への奴隷律”である」は小学校の教科書にも載るほど有名な言葉であります。

無償で使役され、物として扱われ、奴隷ほど非人間的な存在は無いでしょう。
それだけに、御主人様の人間性を引き立てるに相応しい優れた内容と能力を備えていなくてはなりません。
”完全なる受動”であり”信仰する物質”である奴隷は、
もしかしたら現代に生きる実践的ストア学派の発展形とも言っても過言ではないかも知れません。

第一回目からあまり踏み込んだ話をするもの不親切であると思いますので、続きは次回に譲ります。

話を戻しましょう。


今度は、具体的に考えてみます。

御主人様になって戴きたい方の御宅が、己の職場の近所であったのなら、
せめて、昼間に場所と頃合を見計らって丁重な遣り方で声を掛けるなり、
それが恥ずかしいなら、手紙で気持ちを伝えるなり、
何かしらの紳士的な、もとい、奴隷的な方法があった筈です。

手紙で渡すにしても、御主人様の清らかなる御手に触れるものですので、
薄給を絞ってでも高級な便箋とインクを使い、徹底した滅抗菌処理の後、お渡ししましょう。
一流の奴隷ともなれば、金銭と配慮は尽くさねばなりません。

「暑さ日増しに厳しくも、樹々の緑深くなり、目にも涼やかになって参りました。
突然のお手紙、申し訳御座いません。さぞかし驚かれた事でしょう。
不躾とは知りつつ、この想いを貴女様にお伝えせずには居られませんでした」
等とお詫びと季節の挨拶から始まり、
次いで、自己紹介や一目惚れの経緯を簡単に説明し、
「是非とも一目お逢いし、私の話だけでも聞いて戴ければ幸いです。
お嫌でしたらスグにでも身を引く所存で御座います。それでは、お元気で」
等と礼儀を弁えた範囲で思いの丈を控え目に綴り、
御主人様にお渡しすれば良いのです。

結果、駄目なら駄目で男らしく、もとい、奴隷らしく潔く身を引くべきです。


最後に。
主人の居ない奴隷が奉仕すべきは、社会であり、世界であります。
そして、遠くに生きる御主人様に想いを馳せながら、自己鍛錬に励めばよいのです。
やや遠回りではありますが、御奉仕の方法はいくらでも有ります。
御主人様が心地良く生活出来るよう、肉体を鍛えて武術を学び、
町をパトロールして地域の治安に貢献するのも良いでしょう。
もしも、御主人様が何かしら不慮の事故に遭っても、速やかに対応出来るよう、
病気や怪我や災害に備え、自然科学や医学や法律など諸学予備知識を頭に叩き込み、
ボランティアやアルバイトを通して救急救命の経験を積んでおくのも良いでしょう。
御主人様が退屈しないよう、文学や芸術や音楽に励み、
作品を流通させる事で御主人様の御目御耳を賑わせ、楽しんで戴くのも良いでしょう。

奴隷がやるべき仕事は山ほどあります。
その工程一つ一つを蔑ろにして報酬だけ欲しがるような身の程知らずは、
警察に捕まり、法に裁かれ、頭を冷やして反省すべきです。


奴隷道は険しく厳しいものです。
しかし、道を極めた末には、何物にも代え難い”甘美なる至高の歓喜”が待っている事でしょう。


あなたの御主人様は、誰ですか?



では次回まで、御機嫌よう。


散文(批評随筆小説等) ドルイド谷垣の『新釈奴隷道!』 第一回 Copyright 人間 2007-07-22 17:40:38
notebook Home