その男
草野大悟

その男とは
高校三年の時
はじめて出会った。

自転車に乗り現れた男は
前駕籠から魚を無造作に取り出し
黙って彼女の前に置き
ぎょろりと目玉を
おれの方へ向けると
また自転車に乗って
どこかへ行ってしまった。

無愛想を絵に描いたような男だった。


その次に男とあった時
おれは大学一年になっていた。




男がよく行くパチンコ屋で
隣に座って打ち出したおれを一瞥し
ふん、と言ったきり
何も言わず玉を打ち続けていた。


夜中の二時過ぎに
彼女の家の塀を乗り越え
玄関を叩いたおれに一言
見苦しい、入れ
と、玄関を開けてくれた。
家の中には、ついさっきまで
喧嘩していた彼女が
下を向いて座っていた。

随分後になって
その次の日に木刀を買ったのだ
と、男から聞かされた。



男とは
よく
喧嘩した。

結納の席で、
正月に集まった時に、
酒を飲んで
帰れ、帰らない
の大喧嘩だった。
彼女も、彼女の母親も
そんなおれたちを
似たもの同士と
放っておいた。




彼女との結婚式の時
男は泪を堪えるのに懸命だった
それまで、一度も仕事を休んだことのない男が
結婚式の後、三日間寝込んだことは
娘の結婚式で鬼が寝込んだ
と、職場の語りぐさになった。

男は、結婚式の後
東京に行く娘に
「期待への忍耐」
と筆書きし、自分の名前を書き
指印した色紙をこっそり
手渡していた。
その色紙は、それから後ずっと
ふたりの心の拠り所となった。




孫は二人とも女の子で
男は、肩車をしたり
近くを流れる小川に
魚釣りに連れていったり
付近のスーパーに
お菓子を買いに連れていったりして
にこにこと
遊んでいた。

癌の家系であること
体調を崩して
定年を五年残して
退職したこと
彼女の母親を
小学校のころから
ずっと好きだったこと
などを
酒を飲みながら
話してくれるようになったころ
男は
勲四等瑞宝章をもらった。

ふん
と、言いながら
まんざらでもなさそうな男の横で
彼女の母親は
勲章には全く関心なし
と、男を誉めることもなかった。


男はよく自転車に乗って
買い物に行った。
その帰りに自動車に跳ねられたころから
体調を崩し
入退院を繰り返すようになった。

ペット検査で
肺癌が発見され
男は
仕事で組合と闘ってきた
以上の精力を傾け
それと闘った。

母親は
その闘いが
一年で終わることを
医者から聞かされていた。

男は病院に見舞う度に
痩せていった。
おれは、そんな男を
正視できなかった。




男が白くなった
次の日、おれは、
父親と
ほぼ同時期に入院した
妻に

親父はね
まだ、病院で
闘っているんだよ
ずっと、ずっと
闘っているんだよ

と、笑いながら
嘘をついた。























自由詩 その男 Copyright 草野大悟 2007-07-21 17:35:50
notebook Home