やりたいことがあるんです
佐々宝砂

批評だ批評だ批評が必要だとネットで吠え続けて、おそらく数年になる。私自身は、地方同人詩誌での合評会や蘭の会内部でのわずかな批評と、詩集そのものに対するいくつかの批評をのぞき、自分の作品に長文の批評をネットに書いてもらった経験が一度しかない。私はそのたった一度の経験を宝物のように大事にしている。感謝してもしきれないほど、その批評を書いてくれた人に感謝している。

その人は私を理解してくれたし、私に方向性すら示してくれた。その人はその批評を大々的に発表したりはしなかった。自分のサーバにこっそりあげて、URLを教えてくれた。その人が何のためにその批評を書いたか、当時の私は、その人が私の詩を買ってくれているからだと思っていた。しかし実際には、おそらく、私に「批評の書き方の一例」を示すための批評だったのだろうと思う。その人自身が批評の重要性を認識していて、批評の書き手を欲していたからなのだろうと思う。私はほんとのことを言えば、たいした批評屋ではない。でも批評が好きだ。批評の書き手になりたかった。私に「批評の書き方の一例」を示してくれた人に感謝を捧げたかった。しかし世の中は、思った通りには進まない。そのくらいのことは認識しておこう、でも絶望はしないでおこう、私もはや三十半ばを過ぎたけれど、まだ介護保険を払う年齢ではない。

批評の書き手は、自分の文章に対する批評・批判を覚悟しなくてはならないと、私は思っている。私は自分のHPに置いた近作に、
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全文転載は要相談。
批評における部分引用自由、連絡してくれると喜びます。
直リンクは自由、連絡不要(デッドリンクになるかも)。

というキャプションをつけている。私の文章は勝手に批評して下さいどうぞ、でもいくらなんでも全文転載の場合は連絡してね、それが私のスタンスだ。だが、他人の作品まで勝手に批評していいと思っているわけではない。勝手な部分引用や直リンクお断りのキャプションをつけている人もいるが、それはそれでいいと思っている。それぞれの作者の考えを大事にしたいと思っている。

問題は、批評に対する筆者(作者)の考えがつかみきれないときに起きる。あるいは批評する側のスタンスがはっきりせず、曖昧な言葉を使っているときに起きる。たとえば紙の同人誌の合評会のとき、確か私はまだ二十代終わりくらいだったか、「こういうこと書いて恥ずかしくない?」と訊ねて十代の女の子を泣かせてしまったことがある。私は彼女の詩が悪いものだと思ったわけではない、むしろたいへんいい詩だと思ったのだ。でも私にはこういう内容は恥ずかしくて書けないと思ったので、「恥ずかしくない?」と訊ねたのだった。「Tバックってなんか恥ずかしくない?」と訊ねたよーなもので、「きみは立派だ」と言いたかったのだけど、うまく伝わらなかった。あのとき私の言い方はとても悪かった。うまく伝えられなくて私自身悲しかった。二度とああいう思いはしたくない。

ネットで発表される作品を見ていて「この詩なんとかならんかなあ、ここをなんとかすりゃいい詩になるのになあ」「この詩テーマと視点がめちゃくちゃいいのに文章がめちゃくちゃだ」などと思うことがしょっちゅうある。けれど、たいていの場合、私は厳しい批評を避ける。私は争いたくない。愁嘆場も見たくない。未熟な書き手や、批評する側(私)に理解できない詩を書く作者に、手厳しい言葉は禁物だ。半端なものいいも禁物だ。きちんと、わかりやすく、はっきりとした批評ができないなら、私は黙ってる方がいいかもしれないと思う。

愚痴のようになってきてしまった、こんなこと書くために書き始めたのじゃあない。

実は、いま、やりたいことがある。やりたいことはいっぱいいっぱいあるんだけど、早急に(9月末日までに)やりたいことがひとつある。地方の文化団体にネット詩を紹介したいのだ。静岡県詩人会総会で痛感したことだが、地方の詩人会とネットの詩人会とのつながりはあまりに少ない。ネットの詩を見ているごく少数の人も「ネットの詩ってなんか違うのよねー」などと言ったりする。彼等は、ネットの詩の海に潜るのが面倒なのかもしれない。確かに数がいっぱいありすぎて、追っかけるのがたいへんだ。だから私は彼等にネットの詩の良質な部分を見せたい。どのように? もちろん直接詩をプリントアウトしてもってって「この詩いいでしょ!」と言ったっていいのだけれど、それで紹介できる相手は少数だ。私はもう少し多くの人々にネットの詩を見せたいのだ。自分の住む地区の隣人達に見せたいのだ。

だから、今、紹介的な批評文を書いて静岡県の芸術祭に応募しようと考えている。入賞したら、私の批評は「県民文芸」なる本に収録され、静岡県の公立図書館と高校・大学に配布され保存される。地方のニュースや新聞でも紹介される。しかし「入賞したら」の話だ。また批評全体の長さにも限度があるから(原稿用紙四十枚まで)、あまりたくさんの詩を紹介することはできない。長い詩は部分引用ということになるかもしれない。また、ネットの詩全部がいい詩なわけじゃないよということも、私は書かねばならない。それは悲しいかな真実だから。それでも「私の詩に批評を書いていいよ」と言ってくれる人はいるだろうか、どのくらいいるだろうか。

もしいるのだったらメールを下さい。私信でもかまいません。私は批評を書きたいのです。


散文(批評随筆小説等) やりたいことがあるんです Copyright 佐々宝砂 2004-05-20 02:18:06
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