14歳の哲学
Itha

冷えた麦茶を入れた時
隣で母が野菜を切っている時
父と祖母がマッチと作り物の牛を用意している時
妹が塾に行っている時
ふと思いました
私は誰
何故生きている
私は本当に生きているのか
私の目は見えている
古くなった水道がみえます
私の耳は聞こえている
母の喋る声が聞こえます
私の皮膚は感じている
コップに注いだ麦茶の重みを感じます
声も出ます
母にも麦茶を勧めました
相手にも伝わります
母は麦茶を飲みました
相手も私と同じ世界に同じように存在している
でも本当に自分は存在しているのか
もしかしたら誰かの長い長い夢の一コマに過ぎないのではないか
ある日突然目覚める時がきて目覚めたら全て夢になってしまうのではないか
もっともっと遠い文明の私は一つにすぎないのではないか
沢山の哲学書を読みました答えはありませんでした
色んな人がそうしたように私もそれを探します
新聞紙と割り箸と作り物の牛を庭の敷石の上で焼きました
おばあちゃんが小さい鐘を鳴らします
おじいちゃんは天国に帰りました
煙はずっと私の方に向いてきました
今でも少し息苦しい
答えはみつからない
死んだらどうなるのか
本当におじいちゃんは帰ってきたのか
そして帰っていったのか
おじいちゃんの顔を見たことの無い私にはよくわからない
気づいた時にはおばあちゃんがいてお父さんがいてお母さんがいた
暫く一人だったけどそのうち妹ができた
でも全部確かではない
もしかしたらこれは誰かに植えられたにせものかもしれない
過ぎた後は全て夢だったような気分になってしまう
友達との会話も昨日みたテレビも全部あやふや
答えはみつからない
私がこうして文字にしているのも誰かの意思かも知れない
それでも私は文字にします
名前も知れない誰かに向けて

あなたはだれですか?


散文(批評随筆小説等) 14歳の哲学 Copyright Itha 2007-07-16 10:58:18
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