自我像
円谷一
自我像を絵にして生きている
ゴッホの生まれたオランダ南部のズンデルトで豊かな自然に囲まれて
元々風景画を専門として描いていたが
信頼していた精神科医の女性が死んでから
精神医学を勉強して 自我像を描くようになった
毎日2、3人の通りすがりの人々の自我像を描いて僅かな収入を得ている
いつかはこのズンデルトの人々全員の自我像を描くことになるだろう
自我像を描くのは難しい
画帳いっぱいに描くとなればそれは大変な作業である
人々はそれを見れば一発で自分の自我がどんなものであるか分かる
究極の表現主義である
それはゴッホの長く伸び うねりのあるタッチと色彩の選択を継承している
医学的に言ってゴッホの表現方法は自我像のそれと酷似しているのである
しかし人々に自我像を描いて見せると 彼らは突然怒り出して画帳を折り曲げて立ち去ってしまうのだ 自分の自我を受け入れられないとそういう行動に出るのである
時々自分の自我を鏡を見ながら描いてみることがある 描く度に異なるまたは少しずつではあるが成長している自我像を見ることができる
自我とは精神医学的にいうとイドからの要求と超自我からの自己の規制を受け取り 感情を現実に適応させる機能であるから その機能を具体的に表現するものである
そんなものを描いて何になるのだという声が聞こえてくるかもしれないが これが芸術だからどうしようもないのである 医学の要素も混ざっていて 時々涙を流して自分の自我像を大切そうに持ち帰る人々がいるが 自我像とはこれからは自分と素直に向き合う鏡のような存在として扱われるだろうと思うのである 自我像が描けるのは自分だけだが これからどんどん世に広めていって後継者を育てていけたらいいなと思うのである 自分の欠点を治す為に自我像を求める人々は少しずつだが増えてきている
自然の中に人々を置き その自我像を描く 一番緊張する時間であるが一番心が癒される時間でもある その人の自我像がどうであれ 風景画と同じようにあるがままのものをあるがままに最大限に表現することはとても嬉しいことなのである その絵が──絵という表現をもう超えているのかもしれないが──どう評価 どういう結果を招いてしまっても 構わない 先程述べたように大抵の人が自分の本当の姿を見て激怒して悲しんで 絶望しても決して偽りを描きたくはないのだ それが信念である
夕暮れになって太陽に想いを馳せる時 必ず ゴッホとは対照的な絵を描く それは太陽の自我像でもあるのだ 紅く 情熱的で 母性的である 絵は詩と似ているとある詩人が言っていたが 本当にその通りで 叙情的な気分になって心の中で即興の詩を流すのだ やがてズンデルトは暗闇に包まれて家へ帰る そして蝋燭一本だけを灯してゴッホの自我像を想像して描きながら彼のことを誰よりも深く想うのだ