私はただ、過敏さを露見したにすぎないのでしょうか?
サダアイカ (aika)

 詩の批評とは、作者側と批評する側との詩を書く上でのスタン
スないしは生き方のスタンスの差異を明らかする作業なのではな
いかと私は考えている。
 批評する側が詩を選び作者の了承をとらずに批評する場合、詩
の批評とは、批評する側が差異を明らかにすることで自分のスタ
ンスを詩以外で明確にする方法、または手段と捉えることができ
るではないだろうか。すると、批評された詩は批評する側のスタ
ンスを明確にするために利用されると理解することもできる。
 ところが、作者側が批評を望んでいる場合は、批評する側にス
タンスの差異を提示してもらうことによって自らのスタンスを意
識する機会を批評する側より得たり、作者側は批評者がどこにス
タンスの差異を感じているのか垣間見ることが出来、批評を利用
または、楽しむことが出来る。すると、当然だが、作者側が批評
を望む場合にはギブアンドテイク、利害関係が一致する。
 それでも、批評する側が批評を望まない作者の詩を批評するの
であらば、せめて自分のスタンスを明確にするために作者側の詩
を利用させて頂いていることを忘れてはならないのではないか。

 当然、投稿され公にされた詩はどれも批評の対象となるのだと
唱える者も存在するとは思う。しかし、そう唱えることが出来る
者は如何様な批評をも受け止めることができ、即座に反論出来る
論理的な思考を駆使することの出来る余裕のある者であり、誰も
がそのような行動ができるとは限らないということをその思考力
をもって少しでも考えるべきなのではないか。そして、そういっ
た批評を受け止めることが出来ない者を責める権利もないという
ことを意識し批評ないし、発言するべきではないか。
 誰もが自由に批評し発表する権利があるのならば、同時に論理
的な思考力が優れていない作者にとっては自己を守るためにそれ
を拒否する権利を与えられてしかるべきだと私は考える。よって、
無断で批評をされることを望まない作者はプロフィールに
『作者に無断で批評をしないでください』
等、明示し、防御をとることをおすすめしたい。
 批評を望んでいないにも関わらす、批評され、批評を受け止め
ることが困難な作者である場合それは、生命に危機を及ぼしかね
ない事態なのではないかと私は警鐘を鳴らす。

 ここ、現代詩フォーラムで未詩・独白以外は誰でも自由に作者
の了承をとらずに批評が出来るということが明記されていないの
であれば、過去の場がどうであれ、その前提は共有されていない
のだから。

 そして、批評する者へは批評をすることにおいて、何を求めて
いるのか、まず、自分の批評へおいてのスタンスを冷静に分析し
明確に提示するべきなのではないか。私はそれを強く望む。批評
をするのならば、それを明確に提示し、さらに作者がそれを受け
とめることが出来るのかどうか了承をとってからでも決して遅く
はないと私は思うのだ。


散文(批評随筆小説等) 私はただ、過敏さを露見したにすぎないのでしょうか? Copyright サダアイカ (aika) 2004-05-19 16:38:42
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