石榴
ワタナベ

黒い布で顔を覆い隠した女が
まるみをおびた重いはらをかばいながら
前から、後ろから早足で通り過ぎる人々に
おびえるような足取りで市場を歩いている
ときおり女の腰のあたりにぶつかっては
”ベバフシードゥ”とはにかみながら謝って
走り去っていく少年の後姿は
女の顔にぽっかりとあいた二つの穴に入ることなく
(女は知っている、走り去った少年の行く先を、あの笑顔の上に塗られる影のことを)
女は石榴を一つ買い求め
市場をあとにした

夜中、病院の待合室で貧乏ゆすりをしている
どこにでもいるような青年の鼓膜を命の産声がふるわせた
青年はあわてて病室のドアを開け
どこにでもいるような母となった女の腕に抱かれる
どこにでもある希望におそるおそる手を伸ばした
(どこにでもあるということは、なんと素晴らしいことだろう!)
桃色のやわらかなほっぺた
これから迎えるすべての未来をつめこんだかのような
まるいはら
青年の親指ほどしかないちいさなちいさな手を見て
彼は泣いた
あたたかい涙が赤ん坊の額に
ぽつりぽつりとおちて
赤ん坊の体温が
母親の胸につたわって
彼女のこころはぬくもりで満ちたり
その両目から流れる涙にも気づかずにいた

(気づかないことを誰が責められるだろう)

部屋の片隅で
女はおびえるように出産した
伝わってくる確かなぬくもりに
哀しい笑みをうかべながら
今夜もいつものように
遠くからの轟音が机をかすかにゆらし
産まれてきた子のやわらかな背中を
部屋のくらがりが包み
そこに死がへばりついている気がして
女は涙もなく嗚咽する
ゆれる机の上にある石榴が
音もなく落下していった




自由詩 石榴 Copyright ワタナベ 2007-07-12 13:07:59
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