詩と詩論(その2)
生田 稔

詩と詩論(2)




:*横瀬夜雨について

 プラトンが言っているのですが。哲学は学習できるものではないとね。詩もそう言うことができるのではないかと。この詩人は生涯廃疾の身、つまり体がきわめて弱く、土蔵の中で詩を書きつつ短い生涯を送ったとある。他の芸術と違い詩は誰にでも手近ではないだろうか、数冊の書物そしてノートとペンで十分である。ともするとつまらない、それが詩の持つ本質的属性ではなかろうか。詩人ほどその人口が多いものはなかろうか。
横瀬氏の詩の中で私自身が最も感じたものを挙げよう。

 夕の光

堤に萌えし陽炎は
草の何処に匿(かく)れけむ
翠(みどり)は空の名となりて
雲こそ西に日を蔵(つづ)め

覆(さき)輪(べり)淡き富士が嶺(ね)は
百里の風に隔てられ
麓に靡く秋篠の
中に暮れ行く葦(あし)穂山(ほやま) 

雨雲覆う塔(あららぎ)に
懸かれる虹の橋ならで
夕の光筑波根の
上を環れる夕暮や

雪と輝く薄衣に
疼める胸はおほひしか
朧気ならぬわが墓の
影こそ見たれ野べにして

雲巻きあぐる白龍の
角も裂くべき太刀佩きて
鹿鳴く山べに駒を馳せ
矢を鳴らししは夢なるか

終焉(わかれ)の際に辛うじて
魂、骸(から)を離るまで
寂しきものを尾上には
夜は猿(ましら)の騒がしく

水に映らう月の影
鏡に開く花の象(かたち)
怳(あこが)れてのみ幻の
中に老いたる我身なり

月無き宵を鴨頭草(つきくさ)の
花の上をも仄めかし
秀(はつ)峰(みね)照らす紅の
光の末の白きかな

縋りて泣かむ妹の
萎れ(しお)し花環投げずとも
玉に冠か金光の
せめては墓に輝かば

 これら、今まで取り上げてきた3人の詩人は時代も傾向も文体もまったくよく似ている。前にも述べたように、漢詩や俳諧和歌の伝統をあらゆる点で脱してはいない詩人たちである。しかし彼らは当時としては新しかったのではないかと推察するのみである。移行期に現れた秀作として考えてよいのではないか。こう言う詩が書かれ、学校唱歌や流行歌のもととなったにちがいない。音曲はわが国の全時代をとうしてあつたが、春高楼の花の宴 めぐる杯影さして と言うような歌唱は、この時代に受け継がれたものであろう。今でもこの種の数々の名曲があるゆえんである。次に取り上げる川路(かわじ)柳(りゅう)虹(こう)ではがらりと詩体がちがう、現代詩の確かな現れである・・・
 次の回は、芸術論について、まず岩波講座哲学から要約してみたい、確かな芸術論はあるいは美学といってもよいが、詩のような昇華されたものを書く人は心得ておいてよいのではないかとも思うのである・・・
2006/05/12 09:10 No.0


以上の文は去年の5月に作成したものである。その後どうしても筑摩書房刊の「現代詩集」が何処にいったのか見当たらないのである。川路柳虹に就いて是非述べたかったのであるが、これでは図書館にでも行かねば。気分的には今日でないと続きがかけそうでない、では芸術論からはじめるかということなのである。
 芸術は宗教から始まった。大方はこれを納得されるであろう。その例は漢字の語源に見られる。まず、美という字をご覧ください、これは羊という部分と大きいという部分に分かれる、漢字研究家の白川静そのほか一般にこのことを知る人は多い。
 美しいとは、大きな羊を、つまり肥えて脂ののった羊を供えることであった。聖書にもその例がある。創世記4章4節からの記述をご覧ください。
「そしてアベルは羊を飼う者となり,カインのほうは地面を耕す者となった。3 そしてしばらくたってからのこと,カインは地の実りの中から幾らかをエホバへの捧げ物として携えて来た。4 一方アベルのほうも,自分の羊の群れの初子の中から,その脂ののったところを携えて来た。さて,エホバはアベルとその捧げ物とを好意をもって見ておられたが,5 カインとその捧げ物とは少しも好意をもってご覧にならなかった。」
 漢字と聖書とどう繋がりがあるのか、この点を説明できればであるが、一つの例はあるにはある。船という字である。この文字は舟の上に8人乗ったという意味である。つまり簡単には認めがたいかも知れぬが、ノアの箱舟のことを意味している。(ものみの塔聖書冊子協会発行“探求”等の出版物参照)そして善・義・養・犠・儀なども容易にわかるように、それぞれ宗教的意味を持ち、羊と関係がある。こうなると漢字全体を聖書と関連づけて研究する必要がある。
 漢字ばかりではない、地球の文明自体何処から来たか。私は容易に想像することができる。ノアの洪水は事実であったことは多くの証拠がある。ノアの洪水が起こる以前、地に人が増えると、美しい娘が人々に生まれ、天のエンジェル達がその娘に懸想し、降りてきて娶ったという。このことは神の御心に反していたので、神は洪水でもって、乱れた世を滅ぼすことにされたという。
 これら地にやってきたエンジェル達が地球に文明文化をもたらしたのではないかと私はは考えている。想像はもっともっと進むが。エンジェルには子が生まれ、洪水でその子らは滅び、人間も多くは滅び、、ノアとその子らセム・ハム・ヤペテと各々の妻合計8人が洪水を生き残ったと聖書は記録している。そしてエンジェル達は霊の世界に帰り地の諸神となった。
 ですから詩もまた神のものと言うことができる。人も動物も全ては神のものである。神のものであるゆえに無限の可能性を持つ。現代詩フォーラムでは、そして最近の傾向として自由詩が盛んである。しかしちょっと以前自由詩というものは書かれても市場に出回ることはあまりなかった。市場はいざ知らず、ネット界では、自由詩は大手を切って歩いている。私も小説を書くより自由詩を書くことのほうが数等心地よいのでる。
 つづく


散文(批評随筆小説等) 詩と詩論(その2) Copyright 生田 稔 2007-07-04 12:59:42
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