青い鳥が青い訳
桜井小春
しとしとと雨が降る昼休み。美奈子はいつも通り、おなじみの女子のグループに混ざり、綺麗な箸遣いで少しずつ、少しずつ、弁当の中身を口に運んでいる。
俺もおなじみの連中と昼飯を食べる。美奈子の様子を横目で伺いながら、ダチとの下らない話に花を咲かせる。いつもと変わらない光景だ。しかし今日は少し違った。
美奈子は弁当を食べ終えると、グループの連中と一言、二言を交わし、小走りで俺の横にやってきた。
「拓斗、話しがあるんだけど」
来た来た、と言わんばかりに周りの連中が冷やかす。美奈子には蛙の面に小便だが、俺はこういった空気が好きではない。少し不機嫌になって、空の弁当もそのままに、さっさと廊下に出た。
「放課後以外は話しかけるなって言っただろ」
「拓斗は子供ね。放っておけばいいのよ」
「で、話しって何? 手短にな」
「うん、今日ね、ずっと考えてることがあるの」
「何を」
「青い鳥って何で青いのかな、って」
出た。こいつは時々突拍子もないことを言ったり聞いてきたりする。世間で言う天然、いや、変わり者? 不思議ちゃんとも言えるかもしれないな。だが、そんな一面も嫌いではない。こういう戯言に付き合うのは、結構楽しかったりもするのだ。
「そりゃ、幸せの鳥だからだろ?」
「だから、何で幸せの色が青なのよ。何で赤や黄色、白や緑じゃないの?」
「………」
俺は回答に行き詰ってしまった。美奈子以外に、こんなことを真面目に考えるやつはいないだろう。
「考えとく」
いや、巻き込まれた俺も真面目に考えざるを得まい。まあ、半分は自分から首を突っ込んだようなものだが。
俺の反応が嬉しかったのか、美奈子はにっこり笑って「ありがと」と、小走りで自分の席に戻っていった。それとほとんど同時にチャイムが鳴り、俺も席に着く。次の時間は古文だ。丁度いい、眠気覚ましにこのなぞなぞを解いてみよう。
問。青い鳥は何故青いのか。
『青い鳥』の原作はどんなだったっけ、と、頭をめぐらせる。ヘンゼルとグレーテル? いやいや、それはお菓子の家だ。思い出した、チルチルとミチルだ。二人が青い鳥を探しに旅に出る話だ。確か、家に帰ったら鳥籠の中に青い鳥がいたんだよな。
何故、青い鳥でなければいけないのか? 他の色の鳥では駄目なのか?
…分からない。美奈子も難題をふっかけてくれたものだ。
「佐々木ぃ!58頁を読めと言っているだろう!」
ハッとして顔を上げる。慌てて58頁を開いたが、授業を上の空で聞いていたことはバレバレのようだった。周りからクスクスという笑い声が聞える。教師が深い溜息をつき、俺の後ろの男子を指名し直した。くそっ、これも美奈子のせいだ! チラリと美奈子のほうを見やる。一見、真剣に授業を聞いているように見えるが、あいつも頭の中は青い鳥でいっぱいのはずだ。分かった、分かったよ、こうなったらとことん付き合ってやるから。
放課後。美奈子といつもの場所で待ち合わせ、裏門から出て同じ家路を辿った。二人とも傘を差しているから、俺と美奈子の間にいつも以上の距離が出来る。相合傘なんざしたくはないが、雨の日はこれが少し寂しい、なんて思ってしまう。俺も女々しいな。
「分かった?」
「分からない。お前は?」
「私も」
雨は大分小降りになっていた。遠くの空が、そこだけ穴が空いたようにほんの少し、晴れていた。
交差点に差し掛かり、赤信号に二人で足を止める。晴れ間は段々と広がっていく。ああ、明日はいい天気になるかな、なんて思っていたら、信号が青に変わった。俺は横断歩道を渡り始めた。が、美奈子は傘を持った手をぶらんと垂らし、口を半開きにしてポカンとその場で空を見上げている。
「青だわ」
「うん、青だぞ? 渡らないのか?」
「違う、空よ、空!どうしよう分かっちゃった!」
美奈子は微分積分がやっと解けた、といった顔で、いや、もっとだな、それ以上の達成感に満ちた顔で、雲の隙間から覗いている青空を指差した。俺は美奈子の傍らに戻り、一緒に空を見上げた。
「空って青いでしょ?」
「ああ」
「だから青い鳥が青いの!」
「どういうことだよ?」
美奈子は空を指していた指先を俺の鼻先に持ってくると、目の前まで顔を寄せてにっこりと微笑んだ。間近に迫った美奈子のくりくりとした瞳に、思わずドギマギしてしまう。
「私たち人間の心が曇っている時、青い鳥が飛んでいると、青の色に目を奪われ欲しくなってしまう。ところが人間の心が晴れている時に青い鳥が飛んでいても、空の青に溶けて青い鳥の存在を忘れてしまう。だから幸せの時の幸せって分からないんだわ!」
俺はしばし時を忘れて美奈子の模範解答を頭の中で反芻させた。勉強嫌いの俺だが、今までこんなにスッキリとする答えを教えてくれた教師はいない。
信号は進めの青。
「美奈子」
「なぁに?」
「俺、やっぱりお前のこと好きだわ」
「あら、今更何言ってるの?」
可笑しそうに笑う。俺もつられて笑う。美奈子はスカートの裾をひらひらさせながら、舞うように横断歩道を渡っていった。俺は段々広がっていく青空を見上げながら、それに続いた。ピタリと止まる、軽やかにステップを踏んでいた足。
「ね、じゃあ何で空は青いの?」
お前と付き合ってると飽きないよ、まったく。