26歳の森
円谷一

 この森を見つけてどれ位になるだろう 僕は今26歳だ
 死者の懐かしい匂いがする 絶えず葉を擦り合わせている森の奥から漂ってくる 決して入ってはならない 暗闇に食べられてしまうから
 泥まみれの骨が入口の隅に堆く積もっている ダウンロードした曲が消えていた 夕闇が迫ってきている 鴉が騒がしく上空に纏まっている 帰る家も無い僕はオーロラのような夜闇が鼻水を垂らした幼児のような出で立ちの森に降りてくるのを待つ
 半分朽ちかけて放置されてあったキャンプファイヤーの同級生の髪型に似た炎が激しく燃え盛っている(僕が点けたのだ) こうすればもし寝てしまっても森の暗闇に襲われることは無い それは森の外に出た時姿を現すというが一度も見たことが無い 確かめるわけではないが森の中に入ろうと思う もっと別のわけがあって
 2浪して大学院まで行ったからこの歳になった 大学生の頃 ある人とこの化石の森を見つけた その人は一緒に中へ入って死のうと思っていたのである それは後になって分かった話だが その人のことを危険視するようになった
 ある時 突然彼女は行方不明になった 真っ先に思い浮かんだ場所はここだった 警察に相談し このころころと性格を変える森をいくら探しても見つからなかった で それから数年が経ち今ここにいるわけである 理由があって
 僕はライトを灯して深淵の海のように深い森の中へ入っていった もしかしたら彼女の遺体が見つかるかもしれない 足元に気を付けながら 足早に紆余曲折した道を進んだ
 森の様々な成分を含んだ匂いがキツい しかし彼女の肌の香りが微かに導くように香るのでその通りに歩いていった 大分前に水分を含んだのか やけに湿っぽい そしてそれは匂いに任せて進んでいくにつれてだんだん酷くなってきている するとある途中で渇いた地面に戻り ライトに集まる羽虫を叩き(叩く前から羽虫は張り付いて死んでいた) 匂いが最高潮に達した時 前方に注意深く光を照らしてみると なんとそこには留守番をずっとしていた孤独嫌いの子供のような横に長い巨大な一枚岩の上に飾りのように横たわっている白のワンピース姿の彼女がいた 慌てて駆け出して血色の良い肌の白い彼女の手に触れてみると脈があった 僕は顔を顔に近づけてゆっくりとしかし揚羽蝶の羽の動きのような呼吸を感じると 生きている と頭では分かっているけど頭が天井が真っ暗だけど真っ白になってあたふたした
 僕が何もできずに立っていると彼女の頭が微かに動いてゆっくりと大きな目を開けた 口元に何もないことが不思議なように 彼女は起き上がって 僕の目をじっと見た そして僕の名前を呼んだ
 僕は咄嗟に蚊の鳴くような返事をした 彼女はスローで笑顔を浮かべ 私はこの森の暗闇に食べられたのよと言う
 眉を寄せわけが分からないといった風に指示が効かないリアクションをした 暫く沈黙が流れた その流れを全部暗記したというようにニヤけて岩から飛び降りて 1ジャンプで僕の所まで来た そして右手を翳し身長差を測るように移動させ ニッコリと笑った
 彼女は生きていた 僕はだんだん明朗になり質問攻めをした 全ての質問に何も答えずただにこやかな表情を浮かべていた 僕はだんだんと質問のペースを落としていった 口を閉じると何も起きない時間が流れた そして彼女は少し俯いて 初めてごめんねと言った 僕がその言葉を飲み込む時には彼女の瞳には涙で溢れていた そう言い終えると少しずつ美妙な体が透けていって 手で掴もうとすると無数の光の玉となってぱっ と弾け眩しい光に包まれた 辺りを飲み込んで僕を消化しようとしていた陰鬱な暗闇は浄化していったように見えた
 気が付くとお腹が一杯になるような爽やかな匂いの朝がやって来ていた 暗闇の森の前に倒れていた 森の中は生者が入れないような不気味さと静寂さで吸い込まれそうだった もう彼女はこの森にはいないと思った きっと上手く成仏したんだと思う 空に穴を開け昇り来る陽が森を越えて僕を激しく照らした 小さく見えた森に背を向けやはり思い残すことを微々たる痛みを感じながら歩き始めた 明日を忘れた真夏の世界は油蝉の鳴き声のようにブルルン…とエンジンをかけ始めていた


散文(批評随筆小説等) 26歳の森 Copyright 円谷一 2007-07-01 05:27:40
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