我輩は藁である。  
服部 剛

霧雨の降る朝、老人ホームの先輩Aと後輩Zは、お年寄
りを迎えにゆく車内で肩を並べていた。(先輩、一日
何時間あれば足ります・・・?ぼくは、二十五・六時
間ほしいですね)(う〜ん・・・俺は一日十時間でい
いいなぁ・・・最近あんまり働きたくねぇんだよ) 
(そうですかぁ・・・じゃあ、今日はそんな感じで終
わるといいですねぇ・・・ぼくは午前土半なので、昼
飯配り終わったら、とっとと帰りますよ(笑))(い
ぃ〜や、今日はそんなにすっとはいかん。はよう家に
帰りたいと思う日にかぎって、なんやかんやと仕事は
こちらにやってくる・・・) 

時計の針は十二時半。昼食のお膳をすべて配り終える
と、眉間にしわをよせて泣きそうな、先輩Aが食堂に
現れ(おぃ・・・他部署の寝たきり爺さんが高熱だ、
自宅の五階まで送るので、すまんが一緒にいってくれぇ
・・・)それを聞いた後輩Zは心の内で「おぃおぃまじ 
かよ・・・もう勤務終了時間だぜ・・・これから友の
ライブにいくのになぁ・・・」と愚痴りつつ、うるうる
うったえる先輩Aの瞳をみると(いえっさー、ただちに
出動します) 

白目をむいて、口あけた、ベッドの寝たきり爺ちゃんに
声をかけ、三十八度五分の熱い体を起こし、車椅子に乗
せ、玄関外に停車した、お尻のドアを開いた軽自動車に
乗せこんでタイヤを四つ、固定して、運転席と助手席に
乗り込み肩を並べた先輩Aと後輩Z。振り向けば、背後に
寝たきり爺ちゃん白目をむいて、うすい呼吸を繰り返す
・・・エンジンかけて、アクセル踏んで、霧雨降る中を
車は走る・・・二人は顔を見合わせて(なぁ・・・言っ
たろう?すぅっといかぬ、一日だ、朝にあんなこと、言
わにゃぁよかった・・・) 

(いっちにのさん!いっちにのさん!いっちにのさん!) 
がたんがたんと、団地の階段を、車椅子は上がる。上か
ら先輩Aは引っぱり、下から後輩Zが支える。ゴール間近
の五階で、先輩の腕力が弱ったので(ただ今帰りましたぁ
〜・・・!)と玄関を開けた後輩。ここは出番と白目を
むいた、骨と皮の熱い体を抱き上げて、部屋まで運んでベ
ッドに寝かす。寝たきり爺ちゃんは少し開いた口からかす
れた声で(ありがとぅ・・・ありがとぅ・・・)を繰り返
す。玄関で、そろえた頭を家族に下げた、先輩Aと後輩B、
(おだいじにぃ〜)と声をハモらせ、玄関を閉める。 

雨の上がった帰りの道は、なぜかすいすい空いていた。曇
り空の下を走る軽自動車の車内で、後輩Zは花について語っ
た。(紫陽花は、枯れた後も散らないで、老いた姿を人目
にさらす・・・なんだか人間みたいですねぇ・・・)それ
を聞いた先輩Aは(そうか?華麗に咲いて潔く散る、桜の
花も、人生と思うがなぁ・・・)(先輩は紫陽花と桜、ど
っちのタイプですか?)(俺かぁ?う〜ん・・・紫陽花だ
なぁ)(ぼくも、紫陽花ですねぇ・・・でも、できること
ならぼくは、ひまわりになりたいですねぇ・・・自分がひ
まわりになって咲いたら、周りの人も、ひとり、ふたりと
ひまわりの花を咲かせてゆく、そんな花でありたいなぁ・
・・)などと言葉を交わしつつ老人ホームへと帰る軽自動
車は川沿いの道を走っていると、川のほとりに幾本の、ひ
まわり達が、密かに僕らを呼んでいた。 

一本道の向こうに老人ホームが見えてきた。運転席でハン
ドル握る先輩Aは(今日のお前はひまわりっていうよりわら
だったよ。運転の付き添いを探していたら周りに誰もいな
くてよぉ・・・そこへお前がぼぉ〜っと突っ立ってたから
よぉ、藁をもすがる思いでお前につかまり、溺れそうなと
ころから浮かび上がれて助かったぁ・・・やっぱりものは
使いようだな(笑)) 

軽自動車は、老人ホーム玄関前に停車し、左右のドアを開
いて降りた先輩Aと後輩Zは車のお尻の開いたドアから、軽
なった車椅子を下ろし(ありがとう・・・!)の言葉を背
後に「あぁらいぶにいかねば・・・」と思いつつ(でも、
藁になれて、よかったじゃあないか・・・)と後輩Zは不
思議と心を充たされながら、軽くなった車椅子を押して、
開いた自動ドアの中へ入っていった。 





自由詩 我輩は藁である。   Copyright 服部 剛 2007-06-26 16:32:14
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