面白人生講話(4)
生田 稔

 面白人生講話(4)

 つねずね、生命とは何か人間とは何かをよく考えてみる。しかし、物心つきだしてから、折に触れ考えていたこの命題、今日やっときわめて明確に私の中で主観として解決がついた。ここに発表するが、皆さんもこれ以外の説明があるかどうか考えて答えてほしい。
 つまり結論から言うと、生命とは微生物の統一体である、ここいらはなあんだそんなことと言えばそれまで、統一ということが大切なのである、はじめは不統一であるものが徐々に集合し統一されてゆく、そういうふうに方向付けられているのが生命である。
 はじめから自分を知っているものは少ない、しかし組織とそれを構成する、微生物とそれらが対応し己がままにしようとする、自らの周辺にある物質との同化と競合作用が自覚を生み記憶を蓄積し、さらに強力になり、成長を産む。分裂病あるいは多重人格そのほか躁うつ病その他もろもろの精神病は、微生物を統一する力の弱まりあるいは異常なのである。
 己自身を知れとかの大哲学者は言ったが、そのとうりなのである。キリスト教とギリシャ哲学を融合しようとした運動を非難すには及ばない。両者はぜひとも必要であり相補うものである。神と隣人を愛せという教えは、処世論としてはすぐれていても、哲理としての価値を私は疑う。知っているかぎりの哲学者宗教指導者はこの2派に源を発する。それは歴史的にばかりではなく、理論的にもそうだ。己から始まり他へ向かい、全てを知らぬがゆえに極めんとする。
 私は自己のゆえに新しい教えや発見などを目指してはいない。この我々の属する人間中心の国際社会の誤った進路に調整を加え得たら幸いだと思うだけである。
 このことは、神様に就いてもいささか当てはまるのではないかと思う、失礼ではあるが神様も自分を意識していなかった時代があるということである。段々自己に目覚めていったそうである。進化論も創造論もこの辺りまで来ると実に空しい。宇宙はまだ新しいという説がある、神様の成長それと合わせてそれはある、ゆえにそう感じるのであろう。
 神様にもエランビタールが必要である、つまり目標に向かって躍進していく励ましとなる力である。共産主義はその力を押さえつけ制限しようとして失敗した。
 終わりに人々よ、本当の幸福を得よう、本当の幸福を得よう!


散文(批評随筆小説等) 面白人生講話(4) Copyright 生田 稔 2007-06-22 14:44:47
notebook Home