面白人生講話(3)
生田 稔
あまりにも懐疑的な人が今の世には多いのではないか。小さい頃、多分太平洋戦争中であつたと思うが、「人を見たらドロボーと思え」ということを誰ともなしに聞いた覚えがある。
そうかもしれないなと思ったが、だが信じたくはなかった。父や母や兄弟友人もその時は、ドロボーとは思えなかったし、幼くて自分の付き合う世界はとても狭かった。
戦争中はたびたび盗難に遭ったし。でも僕自身天皇陛下のおかげで泥棒はしなかった。
入校時には、奉安殿(天皇のご真影の安置してあるところ)の前で一礼して校舎に入り、祝祭日には講堂に集まって校長先生の読む勅語をきくという日常である、友達の家の多くは壁にご真影の額がかかっていたように今思うが、そうではなく奉安殿なんかがなくなってからのことだろう。
人の性格が悪いというようなことを問題にする人は、暇な人であろう。
人性は悪であるとか善であるとか言っても仕方が無い、そんなこととは関係なく、世界はそして身の回りは動いてゆく。
興味本位で三面記事を読んでも、それが全ての状態ではない、戦争や災害が突発すればそれは別だが、イラクやイスラエルのような危険な国でも人は日常を過ごしている。
復讐や罰は問題を広げるだけだし。もし仕返しや刑罰を与えなかったら、少しは世の中は良くなるかもしれない。
こんなことがある、戦争も終わり、僕達は天皇陛下とは関係がなくなった。そうすると僕達は悪いことをするようになった。万引きを数回した。だが電車通りの京大のそばの綺麗な文房具屋でインクやノートを盗んで23回やつても何もばれないので、ふとその次、店にいる男女の夫婦か兄弟らしい人二人が悲しそうな顔をしてじっと僕達を見ていたのに気づいた。 ばれたんだ、だが何故捕まえないのだろう ここではこんなことしたら駄目だ まもなく僕らは万引きをやめた
人間性は悪でも善でもない よい指導者にかけるだけだ 今はそう思っている