微笑みの価格
clef

そのスーパーのレジでは
いつも同じ人のレーンに並んでしまう
威勢のよいレジの人の前に立つと 急かされているような 
責められているような気になるのだが
そのひとは一度も 私を責めたことがなかった

名札はユニフォームのジャンパーに半分隠れて 千恵○ 
○はたぶん美  化粧の気配は感じないので 
マスカラがルオーの絵のような女子高生のアルバイトよりも幼く見えた

短めで普通 普通という言葉しか浮かばないのは 
私の髪型を表す語彙の貧弱さによるのだが 
4対6くらいに分けた 6の方を おでこのあたりでピン留め
ピンが機能のためなのか お洒落心のためなのか
見る度に考えるだが よく分からない 

小さな声で それでもはっきり聞こえる ありがとうございます
「す」の後で ちょっとだけ 口角が上がり 伏目がちにほほえむ

今日は フォローらしく新人レジ打ちの後ろについていた
新人がレジに出る金額を復唱するたび 消えかかる語尾の「はい」
そのたびごとに ちょっとだけ 口角を上げ 伏目がちにほほえむ

誤りは決して許さぬ構えの おばさんの眼差しは 
レジを打つ人へ注がれる
鋭い視線は 卓球台の球のように 品物とレジの液晶の金額を
交互に行き来する
そんなときでも はい や 笑顔は変わらない 
なぜ 自分を睨め付ける目をした相手にさえ 
優しげな笑みを向けられるのですか
なんて 決して訊けはしないけれど

知らない人が知らない子どもに ほほえみかけたり ましてや 
声を掛けるのは 罪過とされる社会になってしまって
知らない人の笑顔を 忌避する子どもは
知らない人になったとき 知らない子どもに笑顔は向けない
そうして ほほえみはどんどん 小さくなっていくのだろう


私はきのう すこし辛い思いをして
あなたの笑顔に救われた というのは正確ではなく
実はもっと 辛くなりました
いらっしゃいませ と ありがとうございます のときに 
あなたはちゃんとわたしを見るのを知っていたから 
わたしは 目を背けなければなりませんでした
すでにまぶたの端に 涙が溜まっていて それをこぼしたらアウトだからです
もう いいです 笑ってくれなくても
108円とか228円とか そんなどうでもいい値段のために
ほほえんでくれなくてもいいですから



未詩・独白 微笑みの価格 Copyright clef 2007-06-13 00:17:45
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