#6
屋根裏の姫
廃屋となった古い旅館を安価で買取り、なにやら得をしたような気分で引越しをした。築100年の余を越え、廊下の椋の板も黒ずみ真ん中がへこむ。梁や柱の材も曲がっているそのままが使われ、節があり、湧き水が流れ出すようなくねくねとした木目を見せている。長らく人が棲まいしていなかった居間が暖かい。広い玄関と一体で、囲炉裏を切った板敷きの間と畳の部屋とが隣り合っている。襖をはずせば30畳ほどの空間が広がった。この部分は天井がなく、黒くて太い梁と屋根の野地裏がそのまま見える。高く急勾配の大屋根で頭上の空間が深い。妻は嬉しそうに掃除をしている。
2週間ほどたったころ、2階から蛇が降りてくるのに出会った。目が合う。暫くして、階段のへちをするするっと降りはじめた。少し動転したらしく最後の3段ほど、ぼたっぼたっとたごまるように落ちた。
妻が半纏を縫っている。真綿の10センチほどの布を上手にゆすりながらほぐしている。聞くと、一つの繭から一枚のハンカチのような真綿ができるそうだ。それだけでは詰まり過ぎているので、さらに広げて空気をいれていくらしい。ふわふわの綿飴のように手の中から溢れていく。宵のうち、居間で妻が縫い物をしているのを見ているのはとても好きだ。
庫裏屋の板の間に座っている女が見える。ほつけた日本髪を結っていて粗末な紬をまとい、半襟の代わりに茶色の木綿が縫いこんである。
”千本格子の障子の向こう、
うなぎの寝床の古家の中で お宮参りの吾子が寝る
羽二重羽織は虎の背模様 いまだ薄い髪の毛の
小さい頭がかしいで見ゆる
ようやく眠った晴れ舞台 ねんねん そっと 口ずさむ”
呟くようにこんな歌を繰り返し唄っている。暫く眺めていると、顔をあげてこちらを見た。泣き笑いのような表情で、何かを言う。わからないまま、立ちすくんでいると、ふっと女の顔が変わった。眼窩が落ち窪み真っ黒な穴となり、鼻も二つの穴に変わる。全体が青黒い。悪意のような冷たい意志がはいよる。頭を振って落ち着いて見直すと、そこに座っているのは見慣れた妻だった。笊にあけた豆の筋をとっている。なにか思い出しているのか、少しぼんやりした顔だ。きびすを返して書庫へと急ぐ。小さい写真立てに写真をいれる。居間の文机の上に置いた。日当たりのよい場所に居間全体が見えるように置いた。妻が庭から水仙を切ってきて一輪挿しにさした。手を握る。
夜中、ふと起きて明かりをつける。髪の毛の中に、7ミリほどの小さい毛虫が何匹も這っていた。尺取虫に似た体躯で鮮やかな緑色をしており、細かい黒い毛がびっしりと生えている。体を真ん中で大きく曲げて、ゆらゆらとゆれていた。当然感じてしかるべき嫌悪感もないままに櫛ではがす。長い髪の毛の中にもつれてしまう。まあいいか、と虫がもつれたままの髪の毛を枕に寝てしまった。翌朝、髪の毛はいつもと変わりなかった。どうやら寝室は蚕部屋であったらしい。部屋が虫を引き寄せたのかもしれない。白い障子紙に桑の木を墨で書き、緑の葉をたわわに書きそえた。緑色だけ濃淡をつけて墨の上へ置いていく。金粉をすこし散らす。先の部屋の障子をそれに張り替えた。その晩、蚕がむしゃむしゃと葉を食らう夢を見た。毛虫はいない。
「御免下さい」という声がかかった。 ガラガラっと戸が開けられ、同僚だった夏目が立っていた。懐かしい。手招きをして炉辺の座布団をぽんと叩き、側に来るよう促す。 「ああ、元気そうでよかった・・・・・・」 つかつかと歩みよってくる。 「先にお参りさせてくれないか。急だったなあ。」 いぶかしく思っているうちに夏目は靴を脱ぎ、奥座敷へ向かう。うちの仏壇には息子の位牌しかない。20年以上も前でいくら友人といえ夏目がわざわざお参りするとは、と考えているうちに記憶が2重にかぶさってきた。 仏壇に大人の真新しい位牌が白々と見える。吐き気がしてきた。 妻を捜す。今の時間なら庫裏屋だろうか、いや、裁縫の部屋に違いない。庭の草取りをしているかもしれない。2階の掃除だろうか,蒲団干しだろうか。 部屋から部屋へと探し歩く、こんなに部屋があっただろうか? 次から次へと襖を開けては閉め、開けては閉め、半ば走るように廊下を急ぐ。大部屋で宴会をやっていた。結婚披露宴のようで、文金高島田の白い花嫁がうつむいている。客が一斉にこちらを向く。
――妻をしりませんか――
末席にいた客が「あんたの花嫁じゃないな。」と答え、皆がにそにそと笑った。襖を閉める。 次の部屋にはお祭りの最中の男女が華やかな正絹の蒲団を被って忙しくしている。あの顔をゆがめて男の下に組み敷かれている女は妻か?
いや、もっと若い。
猫が座布団に座った部屋、庭に満開の牡丹、忙しげに数人が立ち働く厨房、
――ああ、あそこに違いない――
裸足のまま、裏の井戸へと急ぐ。半円を二つあわせてある重い石の蓋を横にすべり落として、中を覗き込む。 2メートルほど下には、もう黒々とした水面があり、知らぬうちに涙でくしゃくしゃになった顔を差し出し、搾り出すように声をあげた。
ぼたぼたと涙が井戸に落ち、波紋がいくつも広がる。
井戸の底のほうから、ふつふつっと泡があがってきて、
屋根裏に通じる階段は、 扉の奥に隠された急勾配で、
無垢の黒い板でできていた
かび臭いような埃臭いような匂いが鼻をつき、
昼間であっても薄暗い屋根裏がかすかに見える
本当は禁止されているあの場所へ、
一人でおそるおそる上がってみる
半分あがって怖くなって降り、もう一段上がって、
躊躇って飛び降り、
さらに一段上がって、ようやく着いた
木のつっかい棒であけておける天窓板をあけ、
光を中に入れた
琉球人形の目が光る 亀の置物がぶらさがる
わけのわからない物の入った柳行李がいくつも連なり、
ねずみの糞が転がっている厚くつもった埃の床
古い茶箪笥、革のトランク 使わなくなった蚊帳の束
重なっていた座布団を叩き、
きれいそうな所をみつくろって座る場所を作る
今日ここに来たのは、お呼びがあったからで
綺麗な姫様より、亀と一緒に遊んでたもれとご所望で、
小一時間ほど、貝合わせをして遊んで帰った