「 夫の背中。 」
PULL.







夫の背中には口がある。
だから夫は、
背中を向いて、
わたしにしゃべる。

夫の丸い背中はいつも白いワイシャツに包まれている。
背中は、
わたしがご飯ですと言うと、
「ああそうか。」
と、
ごもごも返事をする。
背中越しに茶碗と箸を掴み、
前の口でくちゃくちゃ音を立て、
夫は、
食べる。
わたしが音を立てないでくださいと言うと、
「ああそうか。」
と、
返し、
しばらくすると、
またくちゃくちゃ音を立てて食べる。

夫は服を身に付けたままする。
夜といわず朝といわず、
夫は、
いつも求めてくる。
服を着たまま、
後ろから、
夫は入ってくる。
首筋を夫の前の口と舌が執拗に這い、
やがて背中越しに、
声を上げ、
達する。
達するとすぐに夫は後ろを向き、
背中でまたごもごもと、
「疲れた。」
と、
言う。

夫の背中を見たことがない。
一緒になってからもう、
随分になるが、
わたしは一度も、
夫の背中の裸を見たことがない。
思えば、
一緒になる時のことばも背中越しだった。
わたしの夫の顔は、
どんな顔だっただろうか。
わたしはもう、
随分それを忘れてしまった。

今日も、
夫は背中で、
わたしにしゃべる。
親からもらった名前を呼ばれなくなったのはいつからか。


「おいおまえ。」


夫の背中には口がある。
だからわたしは、
夫の背中にこの包丁を突き立てて、
その口を、

見たくなる。












           了。



自由詩 「 夫の背中。 」 Copyright PULL. 2007-06-11 14:12:42
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