「笑と涙のぽえとりー劇場」レポート(後編) 〜5月〜
服部 剛

   〜第3部〜 

   ここで僕が朗読させていただきました。 

   昨夜は僕の職場の老人ホームでボランティアをしている 
   親子さんが来ていたので、老人ホームネタの 
   「古い杖」を読みました(その時はすでに帰ってましたが) 
   「物」にも心が宿っている気がする時があり、 
   長い間使われず部屋の隅で埃をかぶっていた昔の杖が、
   久しぶりに使われて、90歳のお婆ちゃんの体重を、
   うれしそうに支えていた、という詩です。 

   もうひとつは「降車ボタン」という詩で、
   バス通勤しているので「とまります」のボタンを
   「今日も職場に行こう・・・!」と決意して押す時の
   気持を書いた詩です。後からジュテーム北村さんが 
   「この詩いいねぇ・・・」と言ってくれたのが 
   とても嬉しかったです。 

   初登場の木村ひろよしさん(感じわからずすみません) 
   実は何年か前に、地元の藤沢で度々朗読会で会っていたので、
   以前から詩友でした。一遍上人ゆかりの
   遊行寺で朗読会をしたこともあったなぁ・・・ 

   「無人島に持っていく詩」は 
   ハーリル・ジブラーンの「地球よ」を朗読。 
   以前に宇宙から闇に浮く地球を見た宇宙飛行士が 
   「<宇宙の意思>を感じる」と語ったような目線で 
   宇宙に言ったことの無い、今は亡き異国の詩人は、
   詩の中で地球をみつめる不思議な感覚を語る詩だと感じました。 
   しかも18か19歳頃に書かれた詩というのがすごいです。 

   自作の「一瞬」は「一瞬・・・一瞬・・・」と繰り返すことで、
   止まることの無い時の流れと、秒針の音が聞こえてくる気がしました。 

   木村さんの朗読は、意外と少ない 
   「ぽえとりー界のテノール詩人」という感じで、
   とても存在感がありました。 

   ユキムラハヤネさんは、Mizu-Kさんが僕の詩集について書いた
   物語を朗読してくれました。一冊の詩集も人の手から手へと渡り、
   旅をすることの不思議を想いました。 
   その詩集の旅先がお寺であれラブホであれ、
   読者に愛されるなら、その詩集はきっと喜ぶでしょう。 
   ふぁんたじーな「おっぱいの詩」もよかったですねぇ・・・ 
   ただでさえワインで真赤なわたくしの顔が、
   ますます赤くなりそうでしたが、とても面白い詩でした。 

   店内の照明も薄明かりになり、まったりとした夜の時間は
   やはりこの人、ジュテーム北村さん。 
   奥様の詩?「こころころころ」・・・と女心を 
   言葉遊びで綴った詩に「女心と秋の空」という
   昔の言葉を思い出しました。 
   大村浩一さんの詩をいつもながらの
   リズムとスピード感と味のある朗読を聞いている時に、
   今日はおやすみの大村さんのくしゃみが、
   何処かから聞こえて来る気がしました。 
   ジュテームさんは「今月のテーマ」を毎回違った角度から 
   切り込んでくる面白さがあります。 
   それはジュテーム北村さんの詩についての立ち居地が 
   そうであるからだと思いました。 

   3部のラストは静岡から奥様とかけつけて 
   途中から参加してくれた天川大輔さん。 
   オープニングでも彼の詩を読ませていただきました。 

   ちなみに奥様とは自分のホームページの詩に感想を
   くれたことが出逢いの始まりだとか・・・ 
   出合った頃に遠い距離を車で会いに行った
   素敵な想い出を語ってくれました。 

   ブレイクの時間に「じゃあ僕もがんばって詩を書こう!」
   とふざけて言ったら「出逢いというものは引き合うものですよ」 
   という言葉に、1部でRABBITFIGHTERさんが読んだ 
   谷川俊太郎氏の「万有引力とは、孤独を引き合う力である」
   という言葉を連想しました。 

   自作の赤い靴という詩は朗読にもあうスピード感のある詩で、
   今は亡き詩人のMuddy Stone Axelが生前親しい詩友に 
   「詩人は言葉を、ポジティブなことの為に使ってほしい」と 
   言っていたという話をその詩友から聞いたのを想い出しました。 


   〜第4部〜 


   ぐっさんは田村隆一氏が晩年?入院していた時の詩を朗読。 
   辛い入院さえもユーモアをまじえて語るのが田村隆一氏らしい
   と感じ、どことなく「知」を感じるぐっさんが、 
   田村隆一氏の詩を読むのはわかる気がしました。 
   自作の詩は「ぽえとりー劇場」に参加の面々が出てくる詩だったけど、 
   「金属バットを持って集まろう」という
   なんだか激しくおかしな?詩の合評会を描いた詩でしたねぇ・・・ 

   あしだみのりさんの詩は、1行目を聞いた時点で 
   「本当の想いは、言葉にならない」ということを思いました。
   いつも誠実な詩を読んでくれてありがとうございます。 

   そしてそして。本日の参加者のトリは、 
   守山ダダマさんにつとめていただきました・・・! 
   いつになく熱い熱唱と、
   ママチャリに乗る母を讃えた熱い熱い朗読・・・! 
   自転車に乗るポーズまでとって、体をくねらせていた 
   昨夜のダダマさんは、まさにトリにふさわしい朗読でした。 


   今回の「ぽえとりー劇場」のエンディングに僕は 
   故・菅原克己氏の名詩「マクシム」を読んだ。 

   参加していた詩人達と、日頃から時にメールで
   連絡を取ることもしばしばあるが、 
   昨夜の参加者の中には、今逆境の中にいる人も何人かいたので、
   そんな詩友にエールを贈る意味で、昨夜はこの詩を読みたかった。

   イベント前に配ったテキストには本人の顔写真が載っていて、
   眼鏡のおじさんをよく見ると、ネクタイが曲がっていて、
   それがこの心優しい詩人の人柄をあらわしている気がした。 

   まずは菅原克己氏の略歴をだあぁっ読んでから、
   「マクシム」を僕は読み始めた。 

   時計の針はすでに23時を廻っていたが、 
   最後まで残った皆は、誠実に耳を傾けてくれていた。 


     むかし、ぼくは持っていた、 
     汚れたレインコートと、夢を。 
     ぼくの好きな娘は死んだ。 
     ぼくは首になった。 
     首になって公園のベンチで弁当を食べた。 
     ぼくは留置所に入った。 
     入ったら金網の前で 
     いやというほど殴られた 
     ある日、ぼくは河っぷちで 
     自分で自分を元気づけた 

     <マクシム、どうだ、 
      青空を見ようじゃねえか> 

     のろまな時のひと打ちに、 
     いまでは笑ってなんでも話せる。 



     言ってごらん、 
     もしも、若い君が苦労したら、
     何か落目で 
     自分がかわいそうになったら 
     その時にはちょっと胸をはって 
     むかしのぼくのように言ってごらん 

     <マクシム、どうだ、
      青空を見ようじゃねえか>  



     詩を読み終えた沈黙の後に僕は、 

     「以上で本日のぽえとりー劇場を終わります。 
      ありがとうございます・・・!      」

     と言うと、店内でじっと耳を傾けてくれていた詩人達は、
     暖かい拍手をしてくれた。 

     マイクスタンドに背を向けた僕は、
     「before the fame」というアルバムからCDを取り出し、
     CDプレーヤーの再生ボタンを押すと、 
     若き日のBruce Spring Steenが静かにギターを弾き語る 
     唄声が、クローズ前の薄明かりの店内に、
     いつまでも流れていた。 




    * 文中の詩は現代詩鑑賞講座11 
     「戦後の詩人たち」(角川書店)より引用しました。 





散文(批評随筆小説等) 「笑と涙のぽえとりー劇場」レポート(後編) 〜5月〜 Copyright 服部 剛 2007-06-09 18:44:53
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