下着のプレゼント
深水遊脚

 おそらく男の多くが女の下着姿には興味がある。それが行きすぎて犯罪に手を染める人もいるほど。盗撮、下着泥棒などなど。罪を犯す人は典型的だけれど、男の多くが相手の女の事情をあまり知らない。私も含めて。

 最近の私は、幸いにも下着をプレゼントしたならば喜んでくれ、試着した姿をみせてくれるであろうパートナーに恵まれた。そこで下着のプレゼントを思いつき、実行した。ちょうどそれに相応しい口実もあったので。下着のプレゼントは、いつかチャンスがあったらやってみたいと思っていた。ホワイトデーかなんかに冗談で送るのではなく、もっとちゃんとしたかたちで。男が知らない事情のひとつに、女性用の下着は高いというのがあるように思う。安売りされているものでも、男性用の通常の値段の2倍はするし、高級なものとなると上下1万円かそれ以上になることもある。そんな状況で自分の財布を痛めて下着をプレゼントすることで、身をもってそういう事情を知りたかった。値段のこともそうだし、とにかくパンツやブラがちらりと見えると無差別にテンションが上がり、無遠慮な視線を平気で送ってしまうような、普段の自分のなかの感覚の歪みを正したいという思いが強くあった。何から何まで書くわけにも行かないけれど、実際にランジェリーショップで買い物をして、相手に渡して、試着してもらったところ、それ以前と以後の自分の変化について書いてみようと思う。

 まずそのパートナーに下着をプレゼントしたいことを伝えた。返事がなかなか来ず、やっとOKと返事が来たのは会う約束をした当日の昼過ぎ。私はまだ会社にいる。残業はないとしてもプレゼントする下着を選び、買い、ラッピングを頼み、ほかにいろいろ準備するまでの時間は1時間も取れない。さあ大変。あらかじめいろいろ下調べをしていた私は、下着のプレゼントがそうたやすいものではないであろうと察していた。サイズの合わない下着は体のかたちを崩すし、ストレスも感じさせるだろう。1日だけ着てもらって実はそのあとゴミ箱に行っていた、なんていう事態はどうしても避けたいけれど、少しでも
思慮を欠けば間違いなくそういうことになる。着心地のほかに見た目も重要かもしれない。アウターに響きまくって外から簡単に形がわかってしまうような雑なつくりのものをプレゼントするのは論外だ。かといって機能的に優れていてもあまり地味なものではその日の雰囲気を演出できない。これら一切のことを考えた上でベストなものを選ぶには情報も、時間も足りない。まずは情報だ。迷っている暇はない。パートナーにメールし、下着のサイズを確認した。幸いすぐ返事が来た。

 仕事が終わり、ショッピングモールに急行。普段はチラ見して通り過ぎるランジェリーショップにたどりつく。迷い、ためらい、恥じらい、それらが一切許されない時間のなさ。あとで振り返ると決して楽しんでいなかったな、と思う。もっと選ぶことにじっくり時間をかけたかった。それに、いざ単身で乗り込む段になって足がすくむ。男を拒む結界でもあるのではないか。本当にそんな感覚だった。時間のプレッシャーは乱暴に私の背中を押し、えい、とばかりにその結界を私は破ることができた。周囲の女性客の目が気にならないでもないけれど、とりあえず選ぶことに集中した。時間が限られているのでさくさくと絞り込む。なるほどショップのなかではエリアごとに雰囲気の違うアイテムがまとめられていた。それなりに高級感があり、着心地がよさそうで、ちゃんとその日の雰囲気を演出できるもの、これらの条件で絞り込むと行くべきエリアはすぐに特定できた。店員が私に気づいたらこちらから話しかけようと決めていた。そうでないと確実に怪しまれる。買うべきものを吟味しつつ、ほかの客に対応している店員にも目を配った。店員がフリーになったすぐあとに目で合図して、こちらから歩み寄って、プレゼントを選んでいることを伝えた。店員にこちらから話しかけようと決めていた理由はもうひとつ。なにしろ私は下着を選ぶことに関しては素人も素人。ど素人だ。店員と話しながらプレゼントのアイテムを決めたほうが一人で決めるよりもいいに決まっている。気になったアイテムをさして「これ、いいですね」というと、いろいろ説明してくれた。色の好み、正確なサイズなどをそういった会話のなかで伝えた。ブラとショーツのセットで、私が選んだものと、店員がすすめてくれたものを一組ずつ選んだ。ショーツについて、普通のものとTバックのどちらにするか聞かれて、けっこう迷ったけれど、着やすさを考えると普通のほうがいいかなと思い、普通のものにした。店員も普通のもののほうを、わずかに強くすすめていたように思う。多分それが無難な選択なのだろう。

 ラッピングを頼んだあと、店員は普通に「しばらくお待ちください」ではなく、「終わるころにお店のまわりにきて下されば探してお渡しします」といったことを言っていた。「あ、構いませんよ、ここにいます」と言おうとして言葉を飲み込んだ。男が一人でショップのなかにいる状況を避けたいのではないか、そんなニュアンスを感じ取ったから。少しムカついたし、寂しい気もした。本当はラッピングしてもらっている間に、あれこれ見てみたかった。でも、男が一人で女の下着をあれこれ見ている姿を女の客が見たらどう感じるだろう、間違いなく警戒心を覚えて店から遠ざかるだろう、店員はそれを望まないだろう、そこまで考えて結局、店から離れることにした。入店したときの結界が効いていたのかもしれない。10分ほど経って、ラッピングしてもらったプレゼントを受け取って、複雑な思いでその場を去った。

 幸いパートナーは私のプレゼントを喜んでくれた。目の前で着て見せてくれたし、サイズもピッタリだった。その後の着心地もよかったことをメールで伝えてくれた。もちろん、その日の雰囲気の演出としても最高だった。あらかじめ考えていたイメージがすべて満たされ、パートナーも喜んでくれた。ゴミ箱に行くどころか、毎日着たいくらいだとも言ってくれた。大成功だった。



 隠された部分については不足を補うために様々なことが面白おかしく、刺激的に、勝手に、アンバランスに語られる。それがポルノグラフィー的なものの正体だろう。それは私たちを固まったイメージに縛りつけ、容易に脱出できない、というか脱出する意思さえも起こらないようにコントロールする力を持っている。法的、社会倫理的に間違った方向に行ってはならないのはもちろんだけれど、文化的にもそういう呪縛は決してよいことと思わない。創造が何かを発見した驚きをかたちにしてみせることだとすれば、発見がなければ創造もまた起こりえないのだから。パンチラ、ブラチラに過剰反応する感覚がどこからどうやって私のなかに入ったのか、思い当たることはいくつかある。それはけっこう長い間自分を縛っていたように思う。下着のプレゼントを実行したあと、その縛りから解放されたかどうかはわからない。でも、女なら何でもいい、パンツなら何でもいい、ブラならなんでもいい、というような感覚は消えたように思う。

 結局、自分に合うものを求めるのが一番よいのだろう。下着の場合、ごまかしが効かない。身近で、信頼でき、いつも身に着けたい、そう思うものがベストだ。恋愛にも、ほかの様々な場面にもこれは当てはまりそうだ。覗き見だけではわからない要素は山ほどある。覗き見だけでわかった気になっている人には知りえない事がたくさんある。そのことがほんの少しだけわかった気がする。
 


散文(批評随筆小説等) 下着のプレゼント Copyright 深水遊脚 2007-06-07 12:28:58
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