ペツェッティーノになりたかった
松本 卓也
どうせ僕は社会と言う構造の一部で
一定のリズムを延々と刻み続ける内に
何時の間にかそれこそが幸福であると
結論付ける事で納得を繰り返し
やがて好きでも嫌いでもない
中途半端な将来を描くしかないのかなって
ペツェッティーノになりたかった
ひたすらに単調で貧相で矮小でありながら
真摯に自分に向き合っていたかったのに
どんな奴にも屈する事もなく
やがては自分の意味を見つけ出す
やがては自分の価値を見つけ出す
そうする事ができると信じていた
部分品なんかじゃない
僕は僕だと声高に叫べなくなって
どれくらいの年月が経ったのだろう
部分品である事で見出せる
明日とか生活とか繋がりとか
金とか責任とか義務とか
部分品でしかなかったんだ
何時の間にやらなのか
最初からそうなっていたのか
そこまで遡る事はできないけど
繋いだ手から感じる力
何気ない会話から零れる温もり
どうしようもない現実と
成し遂げた後に告げられる感謝
ねぇペツェッティーノ
部分品であるからこそ
感じれる事もあるのかもしれないよ
誰かの
何かの
全ての
部分品に
過ぎない
けれど
走る奴にも
強い奴にも
飛んでる奴にも
賢い奴でも
恵まれた奴でも
貧しい奴でも
幸せな奴でも
不幸な奴でも
どれも同じ色を持ってない
異なった色の部分品が集まって
色んな奴になってるんだから
ねぇペツェッティーノ
同じような部分品の中で
少しだけ違ってみるのも
面白いと思えるんだ
もし誰の部分品でもなければ
僕はきっと寂しさのあまり
誰かの部分品であろうとするだろう
ねぇペツェッティーノ
僕は君のようには
強くはなれなかったけれど
今日も笑っていられるし
背筋を伸ばして歩いていける
近頃は思うんだ
誰の部分品でもなければ
どんなに哀しい奴なのか
本当は部分品じゃないかもしれない
本当に部分品でしかないかもしれない
けれども自分の色を塗り替えられるのなら
それで良いと思ってるんだ
ねぇペツェッティーノ
僕は近頃思うんだけど
誰しもが部分品の塊で
誰しもが部分品に過ぎなくて
僕は僕なんだ
けれど
僕は僕だけじゃないんだ
そう分った気がするよ