「幸福の定義」
和 路流(Nago Mitill)
無いものねだりなんだ、僕らは。
今 ここに無いものばかり欲しくなって、追ってしまう。
冷めた日常のなか、本当に大切にすべきもの どこかへ見失っていく。
衣食住 足りていれば、ヒトとして十分なはずなのに、
今や、お腹が いっぱいでも、僕らは幸福になれない。
ささやかな日常に鈍くなった心が、満ち足りない寂しさで僕らを駆り立てる。
空しさを埋める糧を、僕らに追い求めさせる。
無いものねだりなんだ、僕らは。
ここに無いもの、まだ手にしていないもの、ありふれてないもの、自分のものにすれば、
幸福になれるような、そんな気がするんだ。
だから、死が少なくなった この豊かな社会でヒトは、
むしろ 自分を殺したり、他人を殺したり、するのだろう。
死が ありふれた社会では、生が望まれ、大切にされるように。
いつから僕らは、幸福が どこか遠いところにあって、
ここには無いのだと、そう思うようになったのだろう。
いつから僕は、心を満たす糧を空しくどこかへ追い続ける、
無いものねだりの人間に、なったんだろう。
どこかで分かってるんだ。
何を手に入れても、どこを探しても、
心を満たす手段など、この世界のどこにも見つかりはしない。
僕は、いつまでたっても幸福になんてなれない。
自分が幸福だと、自分でそう思えない限り。
無いものねだりなんだ、僕らは。
物に満たされた社会のなか、本当に大切なもの どこかへ見失ってしまう。
幸福になるためのすべが、初めから ここにあること、忘れてしまっている。
幸福の定義は、常に自分の心に依存しているんだ。
僕の心を満たせるのは、僕の心でしかない。
(2007年・筆)