柩の音
をゝさわ英幸



蟻を殺した朝、標準サイズの柩を、隠居した大工に発注し、旅に出た。
旅の始めに、風の響動(どよも)す隧道の中で、旅を終えようとする、男の声をきいた。
「…え?」
「え」のみが、耳殻にひっかかり、あとは、風の叫びに溶けてしまったかのようだった。しかし、その「…」は、「どこから?」と問うた私の声に、重なったが故に失われたのかも知れぬ。恐らく「え」は、「どこへ?」の「へ」だったのではないか。――擦れ違い様に振り向いた男は、私の歩むごとに小さくなり、風の中で旅を終えた。

隧道の先に見える光の枠の中を、神様蜻蛉の群が、右から左に流れて行く。その度ごとに黒い羽根は、虚空に線を引くのだった。

隧道を出ると、左側に水辺があり、黒光る線が大樹に絡みつづけていた。
風は叫びをやめて、水面に映った大樹の奥で憩うている。

水辺の大樹を仰ぎつつ、森に踏み入ると、全てが、黒い線の絡まった、樹々の集まりであった。森の上に空は見えず、ただ羽根が、黒光りしながら、時折舞い落ちるだけであった。
羽根の欠けた所からは、仄かに光が漏れるだろうかと思われたが、忽ち黒い糸によって縫いつけられてしまった。

先の判ぜぬ、その隧道のような森は、永遠に続くのだろうかと思われた時、私は旅を始める男と擦れ違い、「どこへ?」と問うたが、男は不思議そうにこちらを見ているだけであった。以前、同じような光景に、でくわしただろうかとも考えたが、どことなく違うようにも思われた。
そして気がつくと、いつとも無く、大工の釘打つ音が響いているのだった。


自由詩  柩の音 Copyright をゝさわ英幸 2007-06-05 20:49:45
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