【小説】朝の食卓にて
なかがわひろか
彼女が朝食後のデザートを何にしようかと迷っている姿を見て、僕は昔付き合っていた恋人のことをふと思いだした。
彼女はいちごが大好きで、いつも朝食の後いくつかのいちごを取り出しては適量のヨーグルトの中に入れてとてもおいしそうに食べていた。
太るといけないからと言って、ヨーグルトには砂糖を入れなかった。彼女はとても魅力的な身体をしていて、そして僕はそんな彼女の身体も顔もとても好きだった。だから彼女がその身体を維持しようとする努力を僕は決して諌めようとしなかった。
いちご入りのヨーグルトを食べる彼女のその顔はとても幸せそうで、なんていうか見ているこっちがとろけてしまうような笑顔だった。今日これから起こるわずらわしい仕事のいざこざや、うんざりする満員電車のことなんか一切どこか遠くへ葬り去るような力があった。
とにかくいちご入りのヨーグルトを食べる彼女はとても魅力的だった。
彼女は何をやっても器用にこなす人だった。
料理をすればレシピが無くても見様見真似でお店に出てくるような質の料理を作ったし、勉強だってよくできた。彼女は大学時代ダンスサークルに所属していたので、リズム感も良くて、僕は何度か彼女のダンスを見たことがあったけど、それはうまく言えないけど、とてもちゃんとしたダンスだった。
僕らはよく喧嘩をした。それはいつも些細なことを僕が指摘することによって開始された。
けれど僕らの行う喧嘩は、毎日歯を磨いたり、顔を洗ったり、お風呂に入ったりするような極めて習慣的なことだったから、しないとなんだかうまく一日を終えられないような感覚に陥って、二人でなんとなく笑い合うことも多かった。
僕らはあくまで普通(マジョリティ的に考えての普通だ)のカップルだったと思う。
僕は時々とてつもない幸せを感じることもあったし、それはきっと彼女もきっと同じだった。
僕らは、ある日、それも一種の習慣であるかのように、別れた。
こんな風に言うと、とても円満に別れたように聞こえるけど、もちろんそれは決して間違えでは無いけれど、僕は(今では考えられないけど)何度も号泣したし、しつこく彼女に復縁を迫ったりもした。
けれどそれも無駄だと分かると、それなりの時間をかけて僕は納得していった。
彼女が僕のことを嫌いになった訳ではないし、僕にももちろんそんなことはない。
ただ、例えるなら人生ゲームで当たったところが「二人は別れる」というところだった。僕らはそんな風にして別れた。
どこにだってある話だ。何も僕らだけが特別な訳じゃない。僕はその後何人かの女性と付き合うことで、彼女のことをよき思い出として胸にしまうことができるようになった。
彼女から連絡があったのは、彼女と別れて4年くらい経った僕の誕生日の前日だった。
彼女が僕の誕生日を覚えていてくれたのかは分からないけど僕はとても嬉しかった。
僕らはそのうちに逢って話そうということになり、その時はそのまま電話を切った。
結局僕らはその後逢うことはなかった。
なんとなくお互い忙しくて、僕も彼女と別れてから何人目かの新しい恋人ができたりして、なんとなく逢いづらくなっていた。僕らは毎年お互いの誕生日が来た頃に連絡を取る程度の付き合いになっていった。
時々彼女は僕の誕生日を忘れたりして、何日か遅れてから連絡をくれたりしたけど、僕はそれほど気にしなかった。毎年決まった時期に連絡を取り合うことが僕にとってはなんだかとても心地よかった。
彼女が朝のデザートを何にするか決めた頃(それはいちご入りヨーグルトではなかった。彼女はそれほどいちごが好きではなかった)、僕は家を出る時間になったので、急いでコーヒーを飲み干すと、行ってくるよと彼女に声をかけ、彼女は玄関まで僕を見送ってくれた。
これもいつもの習慣だ。
僕はこうやって、また新しい人と、新たな習慣に身を置いている。
もうすぐ彼女の誕生日がやって来る。
お誕生日おめでとうと僕は言って、彼女はありがとうと言って、それから次の僕の誕生日まで連絡を取り合わない関係に戻る。
うん。
それも悪くない。
僕は、今頃彼女がいちご入りのヨーグルトを幸せそうに食べているところを想像しながら、満員電車に乗り込む。