岡部淳太郎「迷子 その他の道」に寄せて
ふるる

詩において、「死」とはいかなるものなのだろうか。あるいは「生」は?
視聴者を引きつける手段としての「死への恐怖」「死んだらこうなる」というものは、メディアに数多くあり、利用されている。ドラマを盛り上げるために、映画や小説その他の表現の中で誰かが死ぬように設定されることも否定できないだろう。しかし、宮沢賢治の「永訣の朝」にしろ、高村光太郎の「レモン哀歌」にしろ、詩の中での「死」は、そういった手段やドラマにはなり得ず、(読者の受け取り方はどうかは知らないが)作者の意識はそれからは無縁であるような気がする。それに向かう時、作者や話者は、ただ死に行くものを見つめるばかりだったのである。
私は、詩の中にあらわれるそれこそが、死に向かって歩き続けているわりには、その瞬間にもその後にもただ呆然と運命を見つめるだけしかない、人の生業を最もよく描いたものだと思う。
私たちは、死に対する時、悲しみや恐怖やドラマを感じもするが、本当は、なすすべもなく、じっと自らの立っている場所(まだ自分だけは生き残っているこの世界)を見つめ、その後は一体どうしてそうなったのかも分からずにうろうろと行き(生き)続け、その後の生は迷いつづけるのだ。どうして自分だけは生きるのか、どこへ行けるのか、まったく分からずに。まるで「迷子」のように。

岡部淳太郎氏の詩集「迷子 その他の道」には死の影がある。それは、亡き妹さんに捧げられている詩集だから、というだけではない。私はネットで公表されている氏の詩郡の中で、「夜、幽霊がすべっていった・・・・」というシリーズがとても好きなのだが、それらの中でも死の影は濃く刻まれている。明るい希望を歌った詩や、メルヘンタッチの癒されるような詩が多くある中で、「死」という暗い(とされている)ものを扱い続ける氏の作品ではあるが、それを読んだ時も、この詩集においても、死の影がありつつも、それを暗いだけのもの、としては扱わず、ましてや映画や小説のように、ドラマを演出するために使われているのではないことに(もちろん全ての映画や小説がそうだというわけではないし、むしろほとんどの物語において死は装置ではなくて必然である)私は安堵と感銘を覚える。と同時に、そこにある死を通じ、生に挑戦しつづけるという勢い、あるいは強さというものを反作用的に感じる。実際、この詩集の中で「生」「死」という言葉を探すことはそう難しいことではない。それらの作品から受ける印象は、死や生を想う時、人が示す迷子のようなうろうろとした態度そのままであると私は感じる。そららに対してはっきりした態度を持たずに、いや、はっきりさせることをしないままに、有史以来の難題に向き合おうとする姿勢に、岡部氏の生き方、ひいては詩作への態度を想う。死や生をわざわざ題材に選んだというよりも、氏が詩を書くとき、常にそれらから逃れられない呪縛・宿命のようなものがあるのだ。これは氏の詩を読むたびに私が思うことだ。

さて、この詩集の中でも、それは揺るがない。
今回は、題名にもなっている「迷子」という、大変優れた作品を通して、この詩集を読んでいこうと思う。

ここに出てくる少年・旅人・老人とは、一人の人間の生から死への歴史の象徴だと思うことができる。迷子になった少年、旅を続ける旅人、城にこもる老人。普通ならば人生の象徴として、少年は生き生きと明るく、老人は死へ向かい静かに暗く、描かれるのだろう。しかし、彼らは皆、突き放された視線でもって描かれ、何がしかの不安を抱えている。
少年だからといって生を謳歌しているわけではない。青年だからといって自信に満ち溢れているわけではない。老人だからといって全てを知っているわけではない。ここに、作者の「生」に対するひとつの考え方が出ている、と私は思う。この詩を読むと、生とは一本の確固たる道すじではなく、迷いであるということ、その当たり前のことを認識させられずにはいられない。
では迷い人には救いはないのだろうか?いや、この作品が詩集の丁度真ん中に位置し、不思議な明るさを放っていることに注目してみよう。
この詩の大筋は、城を訪れた旅人が、「LOST CHILD」という題の絵画を見、老人と会話をし、老人との会話に想いをはせるというものだ。淡々とした情景ではあるが、絵画の描写の部分は少年と花というのどかな風景である。全体を通して、非常に硬質な言葉で編まれた詩編の中で、この絵画の部分はやわらかさと明るさを持って読者に迫ってくる。さらに、「地下室があるのだろうか」といぶかる老人に対し、「この城には、地下室がありますよ。」と呼びかける旅人の締めくくり。この言葉も、不思議な明るさに満ちている。「地下室」が何であるかは分からない。穏やかな眠りを誘う静かな場所か、芳醇なワインが詰まっている蔵か、あるいは大切な者が眠る美しい霊廟か、それ以外の何かか。しかし重要なのは「地下室」が何であるかではなく、老人がそれがあるかどうか知らない、ということだろう。それはあたかも、世界に対して、自分自身に対して人間が知りえない未知の部分であるようだ。それに対して、旅人は「地下室がありますよ」と言う。もちろん確信を持って言っているわけではないし、旅人の独白であって、老人に直接向けられたものでもない。しかし、分からない問いに対して「YES」と言ってみる、それが迷い人への一つの答え、作者のメッセージであるように私は読める。
生や死というものに直面し、うずくまる時、他人にはその悩みを理解することも、解決することもできない。(そういった外部の者との断絶感というものを表現したであろう詩も、ここにはある)しかし、全てを包み込み、あるいはただ目の前に置いて、「YES」と言ってみる、この肯定の態度が失われていなければ、それを試みようとする者が側にいれば、人は再び歩き出すのではないだろうか。
回答でなく、同情の言葉でなく。本当に必要なのは、肯定の呼びかけなのだと思う。「地下室があるのだろうか」といぶかしみ、決めあぐねている相手に、「この城には、地下室がありますよ」と心の中で励ますように呼びかけることが。

さて、本来ならば「迷子」がどのように技術的に優れ、かつ鋭い感性でもって書かれているかということを述べなければならないのだろうが、筆者のあまりに乏しい経験と知識では荷が重い。各自、この作品を読んでそのすばらしさを味わって下さいとお願いするしかない。(涙)

この詩集には抗いようもない「ただ見つめるだけ、うろうろするだけ」の生と死があり、真ん中にある「迷子」では、迷う者に対する一つの姿勢が示されていると私は感じるわけだが、これらに触れた読者は、では私たちはただ、迷子でいるしかないのだろうか、作者はただ、迷っているだけなのだろうか。という素朴な疑問を感じるかもしれない。
それに答えるかのように、作者は最後に収められている詩「塩を集める」の最終連でこう書いている。

明日があるならば、そう男はつぶ
やいた。海の手前では、門が、た
だひとつ、声もなく立ち尽くして
いた。男は立ち上がった。行こう、
この丘から、海から離れて、ただ
ひとりの自分をみつけようと、男
は思った。

生きている限り、迷子であっても、しゃがみこんで泣くだけでは許されない。わたしたちは、ただひとり行き(生き)づづけていかねばならないらしい。「行こう」これは、詩の中で生と死とを書き続けるという宿命を背負った、作者の自分自身へのエールなのかもしれないが。
こんな風にきっちり最後を固めている作者ではあるが、詩集の中では、城の老人のように、「この城には、地下室があるのだろうか」(私はこの世界、世界につながる自分自身の一部分について、その存在を、知らない)といぶかしんでいるように私には思える。
以下の詩の中にそれが見て取れるのだ。
「私は生きながらにして死んでいるのかもしれない/それでも私は洗いつづける」(「石を洗う」より)
「僕は自分が求めているものを忘れてしまったのだが」(「求めています」より)
「僕の属性は残酷だ/何の報酬もなく/息を潜めて/次から次へと降ってくる時間を/ひとつずつ丹念に殺してゆく」(「月蝕」より)
私は思う。もしその地下室が、穏やかな眠りを誘う静かな場所であるならば。芳醇なワインが詰まっている蔵ならば。そして大切な人が眠る美しい霊廟であるならば。その存在を知らないのかもしれない岡部さんに、励ましでもなく、慰めでもなく、ただこう呼びかけたいと。

岡部さん、あなたにも、あなたの詩集にも、地下室がありますよ。




散文(批評随筆小説等) 岡部淳太郎「迷子 その他の道」に寄せて Copyright ふるる 2007-05-24 12:43:47
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