【小説】彼女の「思想」とサンドウィッチ
なかがわひろか

 彼女は朝からずっと「思想」をこねたり、伸ばしたり、丸めたりしている。
 僕は寝巻き姿のままで、その姿をビールを飲みながらずっと見ている。彼女が試行錯誤している姿を見るのは僕の週末の一つの過ごし方の典型となっている。
 もちろん彼女が概念としての「思想」を本当にこねたり、伸ばしたり、丸めたりしているわけではなくで、それはあくまでメタファーとしてなんだけど、とにかく時々彼女はそんな風に物思いに耽ることがある。
 彼女がメタファーとして「思想」をいじくっているときは、前の日にとても嫌なことがあったときだ。
 きっと会社帰りの飲み会かなんかで、彼女のいろいろなこと(それはきっと特定のことじゃなくて、至極曖昧なもの)を少しずつ否定されたんだろう。誰だってあることなんだけど、彼女はそういうのをとても嫌う。そして決まって次の休みの日は朝からずっとそのことについて考えている。
 曖昧なものを考えることの対象にしたときはとても苦労する。まさにそれはパンというものを知らないで、小麦と水だけを渡されて作ってみろ、と言われたときのような状態だ。だから彼女は「思想」をこねたり、伸ばしたり、丸めたりする。そしてそれはなかなか本当の形に辿りつかない。とても厄介なものだ。でもそれはきっとたくさんの人が気づいていることだ。
 
 お昼の時間になっても彼女は一向に昼食の用意をしようとしなかったから、僕はキッチンにあるパンとレタスとハムと卵で簡単なサンドウィッチを作った。僕はサンドウィッチが結構好きだ。なんと言っても極めてシンプルだし、そしてパンとレタスとハムと卵が好きな人にとっては全部を一緒に食べることができるからとても便利だ。胃の収まり方も抜群だ。サンドウィッチを食べて胃がもたれる人なんて聞いたこともない。

 僕は彼女の分のサンドウィッチも作って、コップにオレンジジュースを注いで彼女の前に置いた。話しかけはしない。どうせしても無駄なことは分かっているし、さっきも言ったように、僕は彼女が一つの曖昧な問題に対して試行錯誤している姿を見ているのがとても好きだからだ。おなかが空いたらきっと「思想」作りを中断してサンドウィッチを食べるだろう。もしかしたら食べたらもう「思想」について考えるのが馬鹿らしくなって、僕と太陽の光が注ぐこの部屋のベッドで寝るかもしれない。僕としてはどっちでもいい。ただ欲を言えば、もう少しだけ思い悩む彼女を見ていたいというのはある。

 僕は彼女を邪魔をしないように、音楽もテレビもつけない。飲みかけのビールを片手に、サンドウィッチをつまみながら彼女の様子をこっそり見ている。
 随分おなかが空いていたようだ。僕の分のサンドウィッチだけじゃ足らなかった。
 彼女はまだおなかが空いていないようなので、僕は彼女の分のサンドウィッチから一切れ拝借しようと手を伸ばした。
 彼女の「思想」作りは突然中断される。
 結局パンというのがどんなものなのかさっぱり見当がつかなくなって、いい加減自分のやっていることに何の意味もないことに気づいた料理人のように突然その思考をやめる。
 彼女はサンドウィッチに手を伸ばしかけている僕の方を見て、不思議そうな顔をした。いや、なんでもないんだ。食べなよ。
 僕がそう言うと当たり前のように、彼女はオレンジジュースを一口とサンドウィッチを驚くような速さでほお張った。彼女の「思想」作りにはよっぽどの労力を費やしたようだ。
 すべてのサンドウィッチを平らげた後、もうないの?と彼女は言った。
 すぐに作るよ。僕はまたキッチンに立つ。確かまだ材料は残っていた気がする。
 僕がキッチンに立っている間に彼女はまた思考に入った。
 そんな風に時々こうやって思考する彼女を見ながら僕はサンドウィッチを作ったりしている。それが僕らの週末だ。


散文(批評随筆小説等) 【小説】彼女の「思想」とサンドウィッチ Copyright なかがわひろか 2007-05-17 01:50:56
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