日本の国の由来
生田 稔

日本の国の由来(仮説)
 
 日本の国のルーツに関心を持つ人はそんなに多くないように思う。というのも中国人・南北朝鮮人・東南アジア人が各々よく似ているからであるからかもしれない。
 どのみちそれらが混合してできたとぐらいに片付けて、それ以上考えてはいない。ほかの民族はどうかわからぬが、太平洋戦争が終わって以来、万民平等の思想が徹底して、日本人のルーツなどはあまり声高に取り上げられなくなった。
 ソレでも日本人は互いがよく酷似しているから、連帯意識が強く、また太平洋のはずれにあって歴史に登場するのが遅れた島国で、外国人を珍しがる風潮モあり,異民族と婚姻することも恥と思う人は極少ない。
 私は偶然のことなのであるが、27歳から聖書を本格的に学び取っ組む機会を得て、実は日本人はヘブライ人であることを知った。
 これを語るにはまず地球に住む人種の大まかな類別をしておく必要がある。誰でも気づき誰でも知っている黄色白色黒色人の三大人種である。日本人は黄色人種の一派であることには疑いがあるまい。
 どうしてきっちり三つに大別できるのかが少しく大きな問題である。そして簡単明瞭なことでもある。紀元前2千3百70年、聖書年代学によると、あの大洪水は起こったという。
ノアとともに生き残った3人の息子とその妻合計8人が洪水後の人類の先祖である。だからノアの3人の子の特徴が白色黄色黒色人なのである。ノアの子セム・ハム・ヤペテのうちハムの名の意味は「浅黒い」という意味であったらしい。ハムはメラニン色素の多い体質の子であったであろう。
 日本人はヘブライ人であるという説がかなり以前から言われている。日本を統一することになった大和民族は、遠く紀元前8世紀のユダヤにあるらしい。大和とは、ヤ=ヤハ=エホバの与えた国という意味であると解明した書物があった。
 どのようにして、日本まで辿りついたのか。
私は聖書を何回も読んだが、日本の先祖は預言者イザヤではないかと思う。イザヤにはインマニエルという子がいた。インマニエルはヘブライ語で「神われらと共にいます」という意味である。イザヤは当時のユダヤの為政者の手にかかって、鋸挽きという刑を受けて死に処せられた。
、インマニエルという子と家族はともにユダヤを逃れ、比較的多くのユダヤ人とともに、インドのほうに逃れ、インドから沿岸沿いに住処を探して旅を始めてのではないか。紀元前に生きた歴史家ヘロドトスは当時はインドが世界の果てであると考えられていたと記録している。
 インドにはおそらくその頃すでに聖書が伝えられていたのではないかと思われる。釈尊は紀元前の人ではあるが祇園精舎というところで修行したといわれている。祇園もまたヘブライ語でシオンのことであるという。釈迦はそこで聖書の教えに接したのではないか。
 インマニエルを擁したユダヤ人達は、あるいはその子孫は東南アジヤのカンボジャやタイヤラオスや安南を経て中国に達し、中国に永くいたのではないか、そして朝鮮半島にその後住みついた。高天原というのは朝鮮半島にあり、高麗国であったのではないか。
 中央公論社の「日本の歴史」第一巻古代によると、高天原から降りてきた素盞鳴(すさのおの)尊(みこと)は若狭湾から上陸して、オロチョン族を征服し土俗の娘と結婚して初めて日本列島に王国を築いたとしている。
 その後日本海の沿岸を南下して、今の島根県に出雲の国を作った。出雲の国は4代続き、4代目の大国主命の時に邇邇(にに)芸(ぎの)命(みこと)が天孫族を率いて九州に上陸して大和の国の基礎をつくった。神武天皇は邇邇(にに)芸(ぎの)命(みこと)から四代目である。大国主の命は鉄の武具と騎馬による天孫族の大和民族に対して抵抗しなかったという。
 以上ほんの要点を辿っただけであるが、日本語の中に残るへ7ブライ語の数の多さからも以上の推察は可能である。

(この短文は想像と記録の融合したものである。とくにイザヤの子インマニエルのことだけは完全に想像である。しかし聖書に彼らの記録があり、イザヤは王の出る部族ユダ族の祭司であつたことはたしかである。イザヤはユダヤの国の滅びを預言した預言者でイザヤ書六六章を残している.滅びを告げられているユダヤからイザヤは逃れたかったに違いない。そのため子孫を疎開させたかったのではなかろうか。)



散文(批評随筆小説等) 日本の国の由来 Copyright 生田 稔 2007-05-10 11:57:05
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