大きなノッポの樹乃下day
影山影司

 医者の下唇と鼻がにゅいとくっついて、僕の下っ腹を突っついた。
 円錐状の嘴、それはどうやら聴診器らしい。ストレスによって僕の胃がキュルルルと鳴き医者がげふりと笑う。「うるせぇ笑うな」と心の中でうっかり呟いたら、医者は察して「失敬失敬」と聴診器を慌ただしく動かした。

 虚乳をカルテで押しつぶしたナース。の乳房は白衣より白い。病的に白い病室の中で、僕だけが黒尽くめの格好をしていた。なにせ学生服だ。喪服にも使える高機能スーツ。だけど、僕は、ここ数年、学校へ、行ってない。
 ボタンを開いた学生服の下のたくし上げたアンダーシャツの下のたくましい黒人肌。何もかもが黒黒黒。
「先生、先生の肌はどうして白いのですか?」
「それはね、白人だからだよ」
「先生、先生の髪はどうして白いのですか?」
「世の中知らない方が良いこともある。ママに習っただろ?」
「ママが教えてくれた事は、口の中の気持ちよさと鞭の痛みだけです」
 あら、それは素敵ね。とナースが呟く。
「私の坊やにならない?」
 ナースが注射器代わりに口紅を取り出し、ミニスカナース服から溢れる太ももに差し込んだ。折角、出会えたんですから。これも何かの運命でしてよ。太ももに、うんと太字で「50000」「MONEY」と描かれる。「MONEYが私の名前なのよ」ナースが笑ったのを見て、医者は面白くなかったのだろう。
「今日の診察はお終いだ。また来週来なさい」と、聴診器で僕の胸を小突いた。

 僕が、学生服のボタンを閉めて、椅子から立ち上がると、ナースがベッドの上に登って手招きしてきた。「ありがとうございました」後ろ手で扉を開けて、出て、閉める。扉には「I HATE YOU」と書かれていた。
 部屋の外の廊下に置かれたベンチ。で数分待て、との事だったが、数分待つ内にギシギシとアンアンだのと聞こえてきて非常に滅入ったのでその場を離れた。医局の廊下は何処までも長く何よりも白く、スタンリィキューブリックが好きそうな世界であった。

 中庭に逃げると太陽までもが白っぽい光をSUNSUNと吐き出していた。ポカポカ陽気でホカホカに暖められた芝生に寝転がると、僕の黒い衣服は、まるで園芸品店に売られているような、肥料をまぜこぜにした黒土と貸した。「しまった。学生服は、栄養価が高いんだ」だから中高年はセーラー服を好むんだ。ウナギの蒲焼きを食うみたいに、セーラー服を好むんだ。
 まさか裸で立ち上がりすたすた立つわけにもいくまい。と困り果てていると、僕の黒人肌からにょきにょきと根っこが生え始め、ザグバグと芝生を食い始める。やめろよ、税金で養われているものだぞ。と注意しても根っこは止まらず、しまいには深々と根差してしまったのである。

「今なら間に合うわよ」と二階の窓、先ほどのナースが、にやにやと見下ろす。「50000でどう?」「いやだ、淫売とはしたくない」断固として拒否する。清潔である必要は何も無いが、純粋である必要は有る。淫売との交配は邪悪を残す。
 べりりと、下腹部で皮が破けた。あのヤブ医者め。何のための診察だ。皮膚の下から産まれた木の芽が成長を始める。初めは若葉、双葉、貝割れ大根もやしみたいなのからだんだん、ロケット型の、大樹へ。
 大樹は、太さはそれほどじゃないけれども、高く高く伸びる。ツタとツタが絡み合った、ロープみたいな樹木。背中から伸びる髭根も深く深く伸びる。「もう手遅れよ。思春期性樹化症候群は発症した。もう手遅れよ。うふふふふふう」二階の、ナースが小刻みに揺れる。あの淫売め。僕が病む姿を見て、絶頂に達している。狂ってやがる。

「重いんだよ」
 成長を止めない病める大樹の重さが、腰に響く。
 もう既に僕の理性は、本能に駆逐される寸前だった。花粉を飛ばしたい。果実を実らせたい。光合成したい。陽の当たる方へ。いや、それよりも、酸素を。
「重いんだよ」
 もう一度唱えようとしたが、既に僕の舌も植物化を始めていた。にょろにょろと地面を這うように卑しく成長を遂げる舌は、謎の体液でぬらぬらと濡れていた。
『しかし僕にはふさわしい』
 手足の指はキノコと化す。ばふばふと胞子を飛ばすが、どれほど遠くへ行けると言うのだ。周囲に散っただけの哀れな白い粉は、あっという間に世俗の毒へ破壊されて死に至った。
 不安に高鳴る心臓だけが残った。もう僕には、脊髄も脳も生身で残っていない。それぞれがそれぞれとも異様の何かに変態を遂げ、心臓だけがそれらを繋ぐポンプとして活動を続ける。
『こんな様でも、生きているというのですか』
 大樹の先端から電波を飛び散らす。
 もうダメだ。肉体に宿る精神は、もう跡切れる。
 何かを、何かを伝えなくては。生存本能に依るモノではなく、生存理性に依る何かを。人間として、生きた証を、残し、たい、ような、気が、していたが、しかし、すでに、もう、どうでも、よく、なりつつつつつあR。


散文(批評随筆小説等) 大きなノッポの樹乃下day Copyright 影山影司 2007-05-09 21:50:56
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