深淵の森へ
はじめ
イヤホンをして「ドラマチックレコード」を聴いた時だけあの頃に戻れる
深淵の森へ 僕と君は歩いていく
果てのない 親密な闇が濃密さを増す 無限の時間が安心させる 君の八重歯が光る
僕は途端に悲しい気持ちになる 地面は腐葉土で植物達の栄養には丁度良い
道無き道を慎重に通っていく 2人で自殺する為だ
僕はもういつ自分が無意識の内に自殺してしまうのか怖い
古い記憶にあった湖に辿り着くと僕達は朽ちた倒木に腰を下ろした
君はいつもの格好で来ればよかったのにあの時の格好で来てくれた
栗鼠が団栗を湖にポチャン と落として小さな波紋が広がっていった
神様は言った 「もうここで人生を終わりにするのね?」
僕は深淵の森に空いた銀灰色の空を見上げて白い溜め息を吐いた 「そうだね」
「今まで生きていて辛くなかった?」と君は僕の顔を覗き込んだ 「心が無になっているでしょう。躊躇っているの?」
僕は両手で顔を擦ってから 無心になった心をずっと見つめてからこう言った 「躊躇ってなんかいないよ。ただ、湖のように波立たせるものが無いと生きようか死のうかなんて考えなくなるんだ。今はただ、君とこうしてじっとしていたい」
君の退紅のおかっぱ頭は風に揺れて君によって柔らかい耳にかけられた 君にキスをしたくなった 僕は君にキスをしてもいいか聞いて キスをした
梅のエキスを凝縮した君の唾液の味がした 君は梅の木になってしまったんだね 僕は唾液を飲み込み心が潤って キスの匂いを鼻で嗅いだ キスの感触がいつまでも残っていた
君は上着の左ポケットから黄色い錠剤のたくさん入った飴色の瓶を取り出した 睡眠導入剤だ
君は湖の畔まで行って 小さな両手で水を掬って僕に見せた 「私は貴方が死のうと死なないまいとこの薬を飲むわよ。そう決まっているの。この世界を創造したのは私だけどこの世界を破壊するのも私なの。私はこの世界にいつまでもいてはいけない。だから、私はこの薬を飲むわね」
「待ってよ。僕も飲むよ。君と一緒に死ぬんだ。死んで、君といつまでも暮らしていたいんだ。僕にも薬を頂戴よ」
神様は笑って 僕の掌に錠剤を渡した 僕と君は大量の錠剤を口に含んで透明度の高い湖の水を飲んだ そして2人抱き合って横になった
猛烈な眠気が全身を刺激して目を覚ますと 君は眠っているかのように死んでいた 僕は眠気で頭がクラクラになりながら君の体を揺さぶってみた しかし反応は全く無かった 僕は泣いた この森を包む暗闇が僕達に黒いカーテンを降ろした 僕は神に死ぬことを許されていなかった
スイッチを止めて イヤホンを外す 現実の静寂が過去の記憶を飲み込んだ