久保田
atsuchan69

【くの一】と白抜きの文字。
淡い夜に晒された濃藍の暖簾をくぐると、
和服に割烹着の女主(あるじ)――

  「アラ、いらっしゃい。今日はお独り?

 まーね、萬寿。コップでちょうだい
  「そう。今日はすこし汗ばんだ陽気だったものね
 しかしビールを飲むってほどでもないんだナ、これが。

  「菜の花のお浸し、食べてみる?

 女将、もしかして土手で摘んできたのかな
  「まさか、まさか、そんな筈ないじゃないの
 いや、土手で摘んできた菜の花を食べてみたい

  「少しアクがあって苦いかもしれないワ
 うん、口内炎を呼び起こすみたいな味覚だ

  「――はい、萬寿。

 菜の花、この苦味が素晴らしい
  「そう、よかったわ
 お造りもたのむよ、春の野山なら海も。
  「丁度メバルのお煮付けがあるわよ
 ほう、じゃあそれも頼もうか

  「息子さん、お元気?

 来年は就職だよ
  「早いわね。あっという間
 こんどデカクなった息子、連れて来よう
  「だったら、うちの娘も呼びましょうか
 よし。本当に連れてきてやるから
  「それなら前以って仰って下さいね

 おお、黒メバル。萬寿おかわり

  「今年、桜は御覧になったの?
 もう散っちゃったな、家のちかくで見ただけだよ
  「残念ね

 あー、久保田はやっぱり美味い

  「でも桜のあとに、五月があって六月がきて
 一年、あっという間だな
  「十年だって「あっ」という間よ

 色々あっただろ、俺も女将も
  「そうね
 奢るよ。一緒に呑もうや
  「じゃあ、そっちへ行くわね

 うん、瓶ごと持ってきて








※久保田(萬寿)――新潟県に本社を置く朝日酒造株式会社の酒。/一八三〇(天保元)年創業、久保田屋に名を因んだ。/久保田の最高級に「萬寿」が位置する。

※作者は久保田のファンであること以外、朝日酒造株式会社と何ら関わりは持たない。



自由詩 久保田 Copyright atsuchan69 2007-04-28 01:56:26
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