アシスタント日記
猫のひたい撫でるたま子
今日は平塚にて建築撮影のアシスタント。
普段事務所の仕事もぽつぽつとしているけども、アシスタントは体力と、いつもと違う頭を使う。
写真で作る作品よりも、最近は文章に寄ってきていたので、写真に触れたのは久しぶりな気がした。
写真は視覚で考えるメディア。いつもは言葉で考えて働いているので、視覚に切り替えて考えると毎回新鮮な感覚に襲われる。
言葉でのコミュニケーションで作ってゆくのではないので、クライアントさんとカメラマンのやり取りは、クライアントさんの小さなデジタルカメラで行われる。こういう感じ、と見せてくれてその画面を見て写真を提案し、撮影してゆく。一見、クライアントさんが撮ればいいじゃないか!と思うかもしれないが、そこはプロの仕事。画面に映っている構図を見て、本番の写真の構図を決めるのではなく、画面からこの建築や光のどういった感じが欲しいのかを読み取り、一枚一枚の写真の核を決めてゆく。見せられた構図と、そこから構築された写真の構図が全く同じにはならない。
画面から伝わる情報を映像で変換し、提案してゆく作業。言葉のやり取りもあるが、殆どが画面を見せてのやり取りになる。
言葉で説明しようとすると、こんなに長くなるものだが、やり取りは殆ど一瞬である。
視覚の伝達は言葉より、速度がとても早い。私はまだ全く視覚でものを考える能力がつかないので、いちいち言葉に変換して学ぶ。視覚で考え、学べたならばいかに早いことなのだろうか。
私のカメラマンの師匠は、多分元から視覚でものを考える人なのだと思う。私は元から今まで言葉でしか考えることが出来ないタイプなのである。
私からしたら視覚で瞬時にものを考えることが出来るなんて、宇宙人の様だと思う。
写真を勉強していながら、自分はつくづく言葉に寄っているタイプだと認識した。
言葉でものを考えるタイプと、視覚でものを考えるタイプ、いまのところ私が知っているタイプは二種類である。きっと音とか他のもので思考を巡らしている人もいるのではないかと思い、違うタイプに出会うのが楽しみである。
ちなみに自分がどんなタイプか知るのには、記憶を手繰ってみると分かりやすい。
例えば、昨日、喫茶店で飲んだ飲み物は何か?と思い出してみる。
それがレモンジュースなら、言葉で思考する私の場合、「ジュースで、種類はレモンの味」と頭の辞書がパラパラとめくられる。飲み物を思い出すので、「レモン」ではなく「ジュース」で検索をする。その中の、昨日飲んだレモンジュースの映像に行き着く。
私は視覚で記憶をしようと試みたことはあるが、普段使わない能力なので、ここからは人から聞いた視覚でものを考える人の場合。
まず、昨日行った喫茶店の場所の映像がパッと出てくる。そのテーブルの上に透明なグラスに入った黄色い飲み物が画面で浮かび上がってくる。からりと音を立てて鳴る何かが入っている、これは氷で、黄色いからレモンで、グラスに入っているからこれはレモンジュースであろう!と、こういった違いである。
私は全て言葉に置き換えなくては満足しない帰来があって、違うタイプがそれぞれに自分の思考だけを思って話していると、話が通じないと感じる。
頭がいい人は、元からの思考タイプではなく、2つの思考を同時に駆使して話してくれるから理解が早いんだなぁと気がついた。しかし私が視覚の思考を手に入れたとて、2つを同時に扱うのはかなり難しいと思う。切り替えが必要だと思うのだが、最近2つを同時に操れる人物に出会い、もしかしたらあの人は天才なのではないかとこっそり思っている。
アシスタントの帰り、銀一に機材を借りにゆくがてらブリヂストン美術館に寄った。
じっと見る、という今日のテーマにぴたりな展示をしていたが、財布が貧相だったのでブリヂストン美術館のカタログを読んで我慢することにする。
モネと藤田嗣人とザオ・ウーキーのポストカードを2枚ずつと、展覧会案内の冊子をお土産に買ったら、ちょうど入館料と同じ値段してしまった。
数字に弱い。
モネのポストカードを買っからもう一度カタログを立ち読みして、睡蓮について読む。
モネは、5月〜9月の暖かな頃に睡蓮を書き始め、冬の寒い時期にアトリエで仕上げた。
と書いてあった。対象が睡蓮でなくて制作なら、とっかかれる時にやり始め、浮かばない時期に制作を仕上げればいいんだ。スランプとは時期なのだと知った。
その後京橋に向かうが、道に迷い、八百屋の前にいた人に道を聞いたら外国人だった。
今日はあまり寝ていなかったので、頭が勝手に働き、しかしぼっとしているのでよくものにぶつかる1日だった。
明日は刺繍撮影のアシスタント!