煩悩
はじめ

 64000もの煩悩が僕を苦しめる
 業惑縁起に翻弄されながら僕は阿羅漢になる為に全ての煩悩を断ずるつもりだ
 けど無余依涅槃に辿り着いても永遠を手に入れるだけで何も良いことがないじゃないか
 僕の中に消えない煩悩が一つだけあった 君への愛だ 僕は何の為に煩悩の火を消しているのだろう
 何の為に阿羅漢になり仏に近づこうとしているのだ? 君を失ってから僕の中から何も無くなってしまってから目標も夢も持てずに 乞食同然で世界を放浪していた時 偶然瀕死の仏教徒を見つけ 看病してやったところ 「貴方には仏様がついています。修行して煩悩を捨て阿羅漢になれば貴方の心に深く沈んでいる碇を引き揚げることができます。貴方の失った愛する人への想いはきっと報われるでしょう」と言った 僕はその日から全てを捨てて(詩を書くこと、生きること)仏教の道に入った
 桜の木の下に座禅を組み 桜の花びらが散って顔にかかるのも忘れて僕はひたすら瞑想し64000ある煩悩を一つずつ潰していった 喉の渇きと空腹が僕に襲い掛かる 生物にとっては欠かせない煩悩 僕は最小限の水と食料だけを摂取して 煩悩が消えるまで堪え忍んだ
 ?想いが救われるって一体どういうことだ?? 常に最大の煩悩が僕の頭の中にあった 君への愛が煩悩を一つずつ消していく毎に膨らんでいった やがて最大の煩悩は解消されていったが(涅槃で君に逢えるということだ) 代わりに途轍もなく巨大化した想い(愛)が僕の心を破裂させそうになった 僕はこの想いを失った後に君に逢うことは辛かった 止め処目もなく溢れてくる愛の源泉を切り落とさないと君に会えないということになると 僕は半ば記憶喪失で君に逢わないといけないのか 愛することも禁じられている君と出逢って 僕は何と言えばいいのだろう? それとも涅槃まで辿り着いた者はもう煩悩を抱きたいだけ抱いてもいいというのだろうか? 僕は絶望に堕ちていった 桜はもう葉を落として寂しい裸になっていた
 寝ては君だけの夢ばかり見た 修行者にとって甘い煩悩は苦痛そのものである 僕は悪魔の闇に包まれて 悪魔と悪戦苦闘していた 悪魔は人間の甘い煩悩に誘われてやって来るのである 僕はお経を唱えて悪魔に対抗しようとした しかし苦しさのあまり座禅を崩し 倒れてしまった 悪魔の囁きに耐えきれず多くの煩悩を引き戻してしまった 悪魔は声高らかに笑い 僕の蜜をたっぷりと吸って源泉を破壊して僕の心を愛の煩悩で満たし去っていってしまった
 もう僕には阿羅漢になる為の力が残されていなく死にかけていた時 暖かく優しい声が聞こえてきた 「私は釈迦です。あなたの努力をずっと、無余依涅槃から見ていました。もう少しです。もう少しであなたは涅槃へ辿り着けます。そしてあなたの愛する人に出会えます。さぁ、勇気を振り絞って、最後の煩悩を掻き消すのです」 僕は座禅を組み直し 最後の煩悩を断ち切った すると目の前が眩い光に包まれて僕は阿羅漢になり無余依涅槃に辿り着くことができた 僕は意識の赴くままに何処までも何処までも突き進んでいった
 気が付くと僕は君の元にいた 僕と君は一体になり光が増幅してこの世界を照らし出していた


自由詩 煩悩 Copyright はじめ 2007-04-24 04:04:10
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