老婆の記憶
なかがわひろか
旦那、いい酒飲んでるねうまそうだね
汚い身なりをした老婆がそう言った
あんた臭いね、なんとかしなよ
ゲヘヘ、ゲヘヘ、老婆は気持ち悪く笑った
旦那、あんたみたいな人は
きっと毎日が幸せなんでしょうねェ
老婆はまだ僕に話しかける
ゲヘヘ、ゲヘヘ
あんたもう出ていきなよ
あんたみたいな人が来るところじゃないよ
僕がそう言うと
いっそう声を大きくして
ゲヘヘ、ゲヘヘと笑った
旦那、旦那、
うちは大した人生を送った訳でもねェ
きっと誰の記憶に残ったりなんかもしない
でもそれでいいと思ってるのさ
あたしゃそれでいいと思ってるのさ
老婆はじっと僕の目を見つめる
僕は老婆の腐臭で目がチクチクしてきた
分かったよ
じゃあ今夜のことも
僕はきれいさっぱり忘れるよ
そう言うと
ゲヘヘ、ゲヘヘ、と
嬉しそうに
老婆は店を出て行った
大したばばあだよ
僕は残ったスコッチを口にする
ゲヘヘ、ゲヘヘ
老婆の臭いが酒に混じる
(「老婆の記憶」)