‐突きつけられたのはメスではなく‐
士狼(銀)
昨日、上京する前に友達に言われたことを急に思い出した。
「お前さ、動物が好きやのに、獣医になるん」
『ベテリナリーアナトミー』は副教科書だから、別に購入する必要はなかった。特別価格2万円で購入したのだが(定価は3万円)、正直な話、これを買うと生活が危うくなる。分かっていたけど知的好奇心と言えばいいのか、とりあえず購入した。
友達とカフェテリアで笑いながら雑談していて、ふと二人でその教材を捲り始めてからはどちらも無言になった。
anatomy、解剖学だからある程度予想はしていたし、獣医っていう職業を目指して、それが夢から目標になった頃から知っていたけれど、殺す職業だな、と改めて思った。
そこで思い出したんだ。友達の言葉を。
あの時はなんて答えたんだっけ。「動物が好きだから、救いたいからなるんだよ」とかなんとか言ったかな。
今までだってそう思っていたし、今だって、これからだってまだそう思っているに違いないけれど。
色んな角度から解剖していて、非常に勉強になる。
まだ核心に至るところまで学べる学年ではないのだけれど、時間がある時にパラパラ捲っている。
偶然開いたページにあった、咽頭と気管、甲状腺と頸静脈鞘の腹側観に至るまでをとってみても、皮膚を剥いでいくところから詳細に写真と絵で説明がある。
顔面静脈がどのように首元に来ているか、とか、底舌骨と舌骨舌筋との結合であったり、骨の形状だったりがよく分かる。
それらに吐き気がする、とか、気持ち悪いとか言う生徒もいたけれど、自分はどちらかというと、こうなってるんだ、という発見の方が大きかった。
ただ、何人かの希望者を募集している解剖学第一研究室に入るだけの決心はまだまだできていない。
曖昧な決意じゃ検体となるラットに申し訳ないから、この一年を自分に猶予期間として申し渡すことにする。
生半可な強さじゃ耐えられないな、と思った。
医者は三人殺して一人前、と言う文献を以前に読んだことがある。その時は、割り切っていた気がする。
しかし実際にそういった状況を前にして、揺らいでいる自分がいる。つい先日「乗り越える」と言ったばかりなのに、だ。
幼い考えのままでは成長は見込めない。
突きつけられたのはメスではなく、「お前はこれからどう向かうのか」という、内側にいる自分からの疑問と意識。
猶予は一年。決して延ばしはしない。
『正解』を求めるのはあまりに不毛だ。自分の答えを探さなければならない。
生体にメスを入れることを手術と言い、死体にメスを入れることを解剖と言う。
生きている頃の写真で外貌が紹介されているこの子は、きっと検体と呼ばれるんだろう。
そう言えば、学生ホールの前にあるケージで日向ぼっこをしていた犬たちが、いなくなっていた。
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