コンクリートの造形物
ヒロセ

好きだと思うもの、心動かされるものをこれまでどれ程見聞きし、感じてきたかはわからない。
けれども、その中で私の身体の中の中枢に近いどこかを鷲摑みにし、鳥肌と動悸と口渇感を与えるものは数える程しか無い、と思う。

恥ずかしながら、東京ディズニーランドのパレードはその一つである。
ディズニーランドと同い歳の私が初めてそこを訪れたのは、5つの頃。その時にパレードを見て以来、もう何度訪れたかは数えきれないけれども、その度にそれを見ると涙が出そうになる。
あの、大きな音、一遍の狂いも無く計算し尽くされた動き、流れ。そして、見えない 何か。

その他には、最近になって気付いたもので、コンクリートの造形物。
これもやはり計算された美、巨大な物に対する畏怖、色を失った世界、全てが私の心を毟り取る。

けれども、郡を抜いて耐えられないのが 水 である。
清流、ボトルに入った水、水滴、波紋を作る水面、海、その全てに出会う度に心は穏やかさを失う。
さすがに、日常生活で頻繁に見る形での水にはなかなか興奮も得られなくなってはいるが、例えば、そう、水滴がステンレスの流しではなく、葉の上でその下にあるものを湾曲させながら映し出しているものを見つけただけで、その場に暫く立ち尽くし、見入ることとなる。
そこに計算は、無い。

雨。
土砂降りの日に傘をさし、その 中へ溶け込む。

雪。
何も持たず、その繊細なおもてを踏みしめる。
倒れ込み、同化する。

私は、いつか冷たくなる日が来るまで、これらを求め、これらに翻弄され、これらと至福の時を過ごすのだろう。


散文(批評随筆小説等) コンクリートの造形物 Copyright ヒロセ 2007-04-20 00:43:45
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