巣ごもりの季節
シリ・カゲル
閑静な住宅街にうっそりとたたずむ
広尾のリストランテ「イル・ニード」
ここはうまい巣ごもり料理を食べさせてくれることで有名だ
今夜は僕たちが知り合って2年目の記念日で
給仕の差し出すメニューの中から、僕は
・穏健派野菜の巣ごもりサラダ
・キャベツとベーコンの巣ごもりパスタ
・ハーブ地鶏の巣ごもりラザニア
・ 林檎とカルヴァドス酒の巣ごもりスフレ
の4品をアラカルトでチョイスした
料理はどれもこれも絶品で
大学在学中に一念発起してイタリアに留学し
そのままイタリア各地の巣ごもり料理をマスターしたという
若いシェフの才気を素直に感じられるものだった
料理を十二分に堪能した後
僕は今夜のディナーのお礼が言いたくて
給仕にシェフを呼んでもらおうとする
しかし、給仕は「申し訳ございません。
実を申しますと、当店のシェフは引きこもりで、厨房にはおりません」
と、深々と頭を下げるのだった
なんでも、シェフは毎日、自宅から一歩も出ることなく
自らが「ラボ」と呼ぶ自宅の厨房から
アルバイトの学生に料理を届けさせているのだという
「本当に申し訳ございません。
シェフのほうには、私どものほうからお伝えしておきますから」
それなら仕方ありませんね
最近はそういうシェフも多いんですかね、と僕がため息をつくと
「こういう時代ですから、そういうシェフも多いと聞きます」
と、初老の給仕は答えて遠い目をするのだった
その頃、シェフは薄暗いラボにこもって
新しい巣ごもり料理の開発に没頭しており
マンマが心を込めてこしらえた夕食のニラレバ炒めは
ラボの外の廊下で冷気にさらされたまま
今夜はもう開くことのない扉を、じっと見つめているのだった。