【超短小説】不揃いカフカ
なかがわひろか

 カフカが並んだ僕の部屋の本棚を、君は丹念に本の背をなぞりながら、「一冊だけ足りないわね」と言った。
 カフカは結局たくさんの未発表の作品を遺して死んだ。それはつまりカフカの作品数を正確に把握できないことを示す。実際に発表された作品は把握できても、カフカが遺した作品がどれだけあるかなんて普通の女の子が知るはずもない。だけど君は少しの疑問を持たずに僕に向かってそう言った。
 「一冊だけ足りない」
 君はもう一度そう繰り返す。
 僕は君にどの本が足りないのか尋ねようとしたけれど、それを聞いたところで僕はきっとその一冊をわざわざ集めようとしないだろうし、君の言ったことが結局正しいのかどうか分からないからやめておいた。それは正解だったようだ。君の興味はもう既に他の物に移っていた。いつだってそうだ。気づけば君は他の物に興味を移す。それは厳密に言えば当該の対象に関連した物への新たなる興味であり、まるっきり他の物に興味を移してしまうわけではないのだけれど、一度興味を移した君がもう戻ることはないことは僕はよく知っている。
 君はもう一つある本棚をまた丹念に一冊ずつなぞっていく。
 本はその人の思想を示す。
 きっとその通りかもしれない。
 その人がどんな本を読んでいるのかを見れば、その人がどんなものに興味があり、どんな物に嫌悪感を示すのかが分かる気がする。たとえばそれが雑誌であっても、僕はきっとその人はファッションに関して流行に乗り遅れないようにいつも情報に敏感な人なんだということが分かる。そしてそれは往々にして正しい。
 だから君が一冊ずつ丁寧に僕の部屋の本棚に並ぶ本をなぞっているのを見ると、なんだか僕自身が裸にされているようで、少しこそばがゆい気がする。
 全ての本をなぞり終わった後、君は黙ってこっちを振り返って、そろそろ帰ると言った。
 僕はもう少し君を引き留めようと、君の好きな作家や音楽や絵の話をしようとしたけれど、僕は君の好きな物は何一つ知らなかった。僕はまだ君の部屋の本棚を見たことがない。僕は黙って頷くしかなかった。
 君はバッグを取ると、バイバイと言いながら、まるで本の続きの様に僕の鼻をなぞって、ふふ、と笑って部屋を出て行った。
 僕はふと一つの詩を思いつく。
 『不揃いカフカ
  不揃いカフカ
  お前は何が足りないのか』
 なかなか悪くない。
 君のいなくなった部屋で僕はまた新たな思想に耽る。


散文(批評随筆小説等) 【超短小説】不揃いカフカ Copyright なかがわひろか 2007-04-18 16:16:36
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