雨と目玉とブッダと空腹
はじめ
6月の京都の雨の暗い午前中に縁側で印象派の絵を描いている 庭には草木が生い茂っていて屋根からぽつりぽつりと雨が垂れている 僕はそれがやけに気になる 草木の湿った匂いがする 居間には僕の描いた絵画や印象派の本が散らばっている 僕は無料でこの家を借りている 築30年以上経っている家だが 僕にはとても住みやすい この絵からはこの庭はとても明るく表現されているように見える 自分で描いたのだが集中し過ぎて他人が描いたもののように見えるのだ
雨音に紛れて微かにヒキガエルの鳴き声がする 僕はヒキガエルを潰して血の色でこの庭の絵の最後の一筆を入れる想像をしてみた その想像は何の残酷さも無く 僕はその後の筆と押し潰したパレットの処理まで考えていた 雨は僕の喉を通って激しく地面を叩いていた
ヒキガエルの目玉だけは潰さないでとっておくことにした そしてケーキでも作って ブルーベリーの代わりにそれをトッピングしようか考えていた そこまで想像すると腹時計が鳴った 僕は腹の中で今の時刻を計算していた 急にケーキの映像が浮かんでケーキが食べたくなった それもブルーベリーが載っている旨そうなケーキ
僕は子午線を越えたことを自覚し この家の部屋全てのことを気にした 大丈夫 全部窓は閉まっている ここ以外 僕はクリームでこの絵を重ね塗りしたくなった そうすれば午後が乗り切れるような気がした 退屈な午後 しかし雨は降り続くだろう 新聞は取っていないのでテレビを付けて天気予報を見ようとしたが遅かった 素麺でも茹でよう しかたないので携帯で天気予報を見た 明日も明後日も明明後日も雨であるようだ 絵を売って月10万で暮らしている 貯金は月に2万か1万できればいい方だ 僕は今は古くなった煙管煙草を吸う 雨の湿気が充満している部屋に息を吹きかける ブッダが害の無い煙草みたいのを吸って雲を吐き出しているのだろう ブッダを印象派で描いてみたくなった でもブッダはもうこの世に存在しない 目の前にいると想定して描いたら幻想絵画になってしまう 庭の蓮の池の前で佇むブッダ そんな春の雰囲気漂う絵を描きたい
心の中で一通り描いて僕は現実を見る おぉこれは僕が望んでいた世界だ 僕はまた印象派の絵を描き続ける 雨の音が宇宙のラジオみたいでとても心地良い 僕は雨音から色んな話を想像する あれがいてこれがいてそれがいてどうなって… 僕は満足し しばらく無心になる
素麺を茹でなくちゃいけなかったんだ 別に誰に強要されるわけでもなく でも感情が急かす でも結局素麺を作ることを止めた 素麺を食べるにはまだ時期が早過ぎるからである 思い出してみれば麺汁も素麺も無かった この雨の中買いに行くのもめんどくさかった 雨は外へ出掛けるのに厄介だけど 家の中で考え事をしながら鑑賞するのにはいい 世界中で雨がずっと降り続けばいいなと思う そして世界の汚れを落とすのだ 人々の心も洗い流されるだろう リセットするみたいに全てが綺麗になるまで雨は降り続くのだ
そうすれば全てが印象派の絵画のように眩く輝くのではないか 僕達は新たな世界で新しい人生を送ることができるのではないか そんなことも大事だけど腹が減った