風を釣る
角田寿星

風のなかに
釣り糸を垂らしている
それはおぼろげとなってしまった古い
記憶をせめて呼び醒ますよすがではなく
かなしい決意でも無邪気な思いつきでも
その日の飢えをしのぐための
投げやりな衝動でもない
そう 映画はつい先頃終わってしまったんだ

セミの声も
カエルの歌もまだきこえない
森の下生えにはやわらかな地衣が
灰とも靄ともつかない細かな粒子が
濡れそぼった銀幕の名残が世界をひそかに凌駕して
あるいはこのまま暴発を待ってる
「このままじゃ 囲碁も打てないねえ」
栗坊主頭の童子がふたり
いかにも手持ち無沙汰ふうに
眉をさやかに寄せて笑っている 実のところ
囲碁も碁盤もまだ発明されてなかった
それどころか
クヌギもセキレイも
木挽の小屋から立ち昇る炊煙さえもまだ
名札を失くした卵のように
眠っていたんだ

ふふん ふんふん ふん ふふん
ふふん ふんふん ふん ふふん

世界が少しづつ鼻唄で充たされていく

ぼくはこれから生まれてくるだろう
ろくでもないものどもについて思いを馳せる
ぼくは笑う
ぼくの意思にまるで関係も頓着もなく
生まれてくるだろう ろくでもない
愛おしくも騒がしいものどもを
ぼくは待ってる
ぼくは目を閉じたままでいようと思う
釣り針の尖 きらりと何かが光ったけど
それはきっと気のせいなんだろう
草原のロウソクに
いっせいに灯りが点ったけど
それもきっと風のいたずらなんだろう


自由詩 風を釣る Copyright 角田寿星 2007-04-16 21:19:38
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