羨望
atsuchan69

そのとき、検出された過剰な信号がフィルターを通過し、
離散値として処理されたデータが神経線維を走りつづける
肢体の切断、もしくは破損された細胞への速やかな対応
つまり力学的にもたらされたダメージを正しく認識し
さらなるダメージへの回避、防止を促すために――

そのとき、男は左耳を削がれ、既に利き手も失っていたが
可視光を浴びたマンションの一室で網膜が捉えた伝達情報は
チェーンソーを振りまわす怪物の【理不尽な笑み】と返り血
着古した軍用ジャケットの胸に縫いつけた【ラブピース】
そして惨く乱暴に壊された女のパーツが無造作に並んだ、
濃紺の絨毯を敷いた【汚れ、散らかった床】等である

「ガー、ダングードゥ」と不可解な言葉を叫んでは
怪物は、けたたましく唸るチェーンソーを真上から振り下ろす
とっさに男は転がり、空振りの回転する刃が寝具を切り裂き、
純白のやわらかな羽毛をスローモーションのように宙に舞わせた
――怪物は、かつて女の配偶者であった

生への衝動が一瞬のうちにベッドサイドの花瓶を握らせる
チェーン先端部分へ直角にそれが触れたとたん、破裂する花瓶
勢い、反動でチェーンソーが丸ごと窓めがけて飛んでいった
引き裂かれたカーテンがギシッと回転刃に巻き込まれたかと思うと
噴出す鮮血とともに煩かったエンジンが白い煙を吐きだし音を止める
花柄の遮光カーテンに包まれた怪物が忽ち、ぺたんと尻をつく
ラブピースの怪物は座ったまま、もはや動こうともしない
よく見ると額に、秒速で回転する残忍な刃の痕があった

玄関を出ると、朝の慌ただしさが彼処に溢れているのを見た
近隣の人々がゴミの袋を所定の場所へ出しに来る
瀕死のまま、男はよろめいて救いをもとめる
「ダレカ、ケイサツヲ・・・・

そのとき、男は力なく倒れ、朦朧とする意識の中で
妻たちに見送られる日常の様をいくぶん羨望するように眺めていた



自由詩 羨望 Copyright atsuchan69 2007-04-16 18:16:14
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