余剰の中で
水町綜助

たとえば僕の場合それは
初めて
しり あった

というやつと
つめたい汗を皮膚に浮かべながら
五月
間延びした地方都市のなかで
その延びきったらへんで
道がすこしだけ
ほんの少しだけ
上を向きかけ
町に住む人々
人々を
ほんの少しだけ
洪水にひたらない位には
空に上げてくれるような
丘の上の道路を
助手席でうつろ
サムシングでも聞きながら
仰向けに運ばれたとき

丘陵地のちょうど頂にさしかかり
越えて
いままさに鼻先が俯き加減に丘を降りようとした瞬間

カーステレオの音が急に膨れ上がってそれで

 もしも
 からだのなかに
 一冊の本があるとするなら
 それがとても早く
 透明に
めくり続けられ
 藁半紙に荒く刷られたくだらないお話を
透き通ったまま
 いちどきに終わらせ
 ぱたりと
閉じきったとき
 まるで合図とでも言うように
 かわりに

薄められた緑色に浸されたような色合いの
強い解放を心にもたらした

という人生の終わりだったとして
そうだとして
それ
があった訳だけれども
僕はまだそのまま続いている

以来もうないが

そこからが一つの
余剰だとして
語られない日常であり
僕のながい余暇のはじまりであるなら

そのとき感じた
ひとつの
胸騒ぎの余韻で

かすかな共鳴の中で

僕は今また楽器を

たたいて
たたいて
いる

弾けはせず
吹けはせず
叩けもせず
たたいている

ばんばんばちばち

蛇足のように
たたいている

触れる部分を

手当たり次第に

ひっぱたいている

たいしたことなど
僕にはわからず
言葉も持たない

昔 のことは
これから のことは
未視として

今 については目にも留まらない
それは いつ でもない

僕は
現在日 というみじかい悠久の中で

見て
さわる
などしている
ごくり





















自由詩 余剰の中で Copyright 水町綜助 2007-04-11 11:30:59
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