百年と女
楢山孝介
百年前、砂浜に寝そべっていたら
「カニだー」と言いながら幼女がわたしをつまみ上げた
「カニじゃない!」と一喝すると
幼女は両親の元へ泣きながら戻っていった
怒らなくても良かったかな、と少し反省した
九十年前、寝ぼけながら空を飛んでいたら
快活な少女が虫取り網でわたしを捕まえた
「虫じゃない!」と思わず大声を出した
「しゃべった!」と驚く少女の顔に見覚えがあった
昆虫採集セットを振りかざして迫ってくる少女から
わたしはかろうじて逃げ出した
八十年前、怪獣の振りをしてヒーローと戦っていたら
ヒーローに向かって石を投げている女を見つけた
「ええかっこしいは気に入らない」
とか何とか言っていた
ヒーローのなんとかマンさんは困りながらも
なんとかわたしを討ち滅ぼした振りをした
彼からお金を受けとったわたしは
その一部を女に投げてやった
女は札束が重すぎると言って少し怒った
七十年前、からからに乾いた砂漠に小便をして
少ししょっぱいオアシスを作っていたら
見覚えのある女が迷い込んできた
喉の渇ききった女を止める術はなかった
生き返った、と女は呟いて、次にわたしに気がついた
「お久し振り、何だかわからないお方」と女は言った
わたしは小便のことについては何も言えなかった
六十年前から十年前まで省略
要するにそのあいだわたしはいろいろなものになり
十年ごとに同じ女と出会ってきた
そして今、女はわたしの胸に飛び込んできた
「さっき死んでしまいましたので」と女は言った
「それはそれは」とわたしは言った
「少し寂しくなるな」とわたしは言った
「あんまり気にしないくせに」と女は言った
それはそれで本当だった
「いや、本当に寂しくなるよ」
それもそれで本当だった
「カニ?」と女は言った
「カニじゃない!」とわたしは言った
それからまもなく女は消えてなくなった
わたしも女と一緒に消えてなくなろうかな、と一瞬思ったが
残念なことにそれは無理な相談だった
わたしは何ものかになり続けて
何ごとかをやり続けるしかなかった
わたしはいつまでもいつまでも
ただただ在り続けることしか出来ないので
別にカニだと認めても良かったんじゃないか
とわたしは思い始めた