黄金町
リヅ
友達と呼ぶ時
少し気後れしてしまうが
知り合いと呼んでしまうのは寂しい
私に黄金町を教えてくれたのは五つ年上のKさんだった
女子高生が一人で歩くのは危ないよ
彼はそう笑った
駅の改札を出ると空気の質ががらりと変わるのがわかる
この町の湿度は季節や天候に関わらずいつも高い
それはかつてここが風俗街だった頃
途切れることのなかった折り重なった男女の吐息が今も満ちているから
数年前に一斉摘発され空家となった何百件もの小さな売春宿と
シャッターが下ろされたまま残されている古い映画館が
なんとかその湿気をこの場所に閉じ込めている
Kさんは陽気な人でよく喋るが
たまに何度電話をかけても出てこないことがあった
精神科に救いはねぇな、手助けはしてくれるけどって缶コーヒーを飲む
高架下には三百メートルごとに警官が立っていて
おちおちタバコも吸えやしない
この町唯一のカトリック系の教会と付属の幼稚園は
ラブホテルから通りを一つ挟んだ場所に存在する
生命力の強い何軒かのソープランドとストリップ劇場は
錆び付いてネオンの光らない看板を掲げたまま営業しているけれど
外国人娼婦がカタコトの日本語で客を呼んでいたのも
アパートの一室で麻薬の売買がなされていたのももうずっと昔のこと
何もかも変わっていってしまう
黄金町へ来るとKさんはよく死んだ友達の話をする
八月のある日
その人は一度だけこの町で韓国人の女を買った
表向きスナックとして営業している店の二階で
彼は女と重なる前に並んで寝転び
何か話をしようとした
頭を撫でてやろうとした時
狭い部屋の壁に自分の左肩があたっていることに気付いて
何もしないまま家へ帰った
壁が冷たかったのだ
右隣の女の体温も扇風機すらない部屋の室温も高いのに
ひどく冷たかったのだ
その翌日
彼は京浜急行線の始発に轢かれた
女たちは生きていくために性を売り
男たちは生を買い求めてやってきた
欲望を持たないと生き残れなかった
生きることに疲れた人々は容赦なくこの町に殺された
自分の番がこないように
遺された人はいなくなった人の話をしない
涙も感傷も欲望を邪魔するものでしかないから
寂しかったんかなぁ
一人で死ぬのも寂しいよなぁ
俺が殺してやれればよかったのになぁ
Kさんが死んだ友達の話をする度に
私はいつも殺されたいのかと思う
だけど彼はこの町にそんなエネルギーが残っていないことを知っていた
金のメッキがはがされた町はもう誰にも関わらない
何もかも死んでいってしまう
Kさん
上手く言えないけど
たった一度の死でその人全部が悲しく塗り替えられてしまうなら
忘れてしまえばいいと思うんだ
寂しくなるだけだから
誰もが幼い頃は
明るく生きることがすべてなのだと信じていた
大人になれば
うまく社会と繋がれなかったり
大切な人が死んでしまったり
笑顔だけの日々がずっと続くわけがないことを知るけれど
それでも黄金町は明るく生きることがすべてなのだと言い切った
どこの売春宿だったんだろう
韓国人の彼女は何処へ行ったんだろうね
だけどどの店覗き込んでも彼の幽霊はいないよ
この町には生きている人しかいない
本当は
どの町にも生きている人しかいない
いつからか町の中心を流れる大岡川の水が澄んでいた
映画館は来月に取り壊しが決まった
空家になった売春宿の通りも住宅街になるだろう
湿度は消え皮膚感覚は失われていく
黄金町は死んでしまう
それでも私とKさんの生活はもう少しだけ続く
残ろうか
捨てようか
忘れようか
それから何処へ
生きてるって奇跡だ
山手の丘で誰かが言った
死んじまう奴がアンラッキーなのだ
十年前の黄金町ならきっと笑ってそう言った