俳句の授業②
カスラ

入れものが無い/両手で受ける


この放哉の句、斜線の前と後を架橋する接続助詞、例えば『から』『ので』『と』を省いたのが一種独特の世界を表出させる。

放哉の選んだ生き方とは何であったのか。それについての年譜やさまざまな評伝がネットにも在るのでここでは割愛するが、社会的地位や財産、家族の全てを捨てたというより、運なく捨てられた放哉というのが正しいのだろう。(朝鮮での事業に失敗し、一高時代より酒乱であった)だがしかし、そうであれば、それだけならば、前記した接続助詞で架橋したはずである。

筆者の住む北海道は、明治期から本州のさまざま地域より開拓のため入植者を受け入れた歴史がある。日常の話し言葉は標準語に近いが、いわゆる北海道弁の多くや隠語の中にはこれら入植者のお国言葉がそのまま遺されたものがある。そんな隠語のひとつに『ホイド』というのがあり、賎しく何でも欲しがる者を揶揄して呼ぶ詞であるが、もとは島根県の方言、物乞いの僧、身分の低いたく鉢の僧をおとしめた呼び名であったらしい。京都の一燈園を奔出した放哉は行く先々の寺で寺男として糊口をしのぎ、ついの住家には小豆島のある寺を与り住んだ。その暮らしぶりは変わらずに貧しく、ホイドとして生き、句を詠んだのであろう。結核と孤独のうちにわずか40年ばかりの生を終え、その臨終を看取ったのは近くに住む漁師の夫婦だけだったという。

たく鉢の椀も無いほどの赤貧を洗い、布施としての粗末な食物を貰い受けるにも己の両手を上げ、頭を垂れている情景としての句。はたして本当にそうであろうか。先の接続助詞の話しに戻るのだが、そのような貧しく悲惨な現実を哀しみ呪っていたのであれば、放哉は斜線の前を因、後を果として理由付けし、言い訳して、架橋する接続助詞、『から』『ので』を挟んだと想う。ちなみににそれを斜線部に入れて眺め詠んでもらいたい。するととたんに何と賎しい句になることか。この句の精神、命はたちまちに死んでしまう。


今一度句を眺めてみよう。『入れもの』これは彼自身、受容器すなわち彼の魂の器であり彼の本体である。それが『無い』とは無限大に無辺に在ることではないのか。そして後半、彼の『両手』は静かに天へ向けて開く双葉のように並んで放たれている。では最後の『受ける』のは何を受けているのだろうか。これまでの人生が幸い薄い、ましてや肋膜炎から結核を患っていたのだから余命いくばくとも知れず、先も決して明るいとは言い難い彼がである。
もっともこのような筆者の直感による勝手な解釈は主観の域を出ることはなく、まったく逆に放哉の魅力は『これっきり』にあるという人もある。人生の辛酸と悲哀と貧困と、そして孤独。そんな生の哀しみをそのままに、何も付け加えることなくそのまま詠んでいる。そこが清々しく潔いのだと。

何れにせよ放哉は人生の岐路で、生存することを捨てた。現世的な欲望として生存することがどうしてもできなかったのだ。彼は己の宿命のままに生きることしかできなかったし、そうであったからこそ静寂で水晶のような言葉を紡ぐことができたに違いない。


資料を調べていて偶然知ったのだが、明日、四月七日は放哉の命日であるそうだ。中学時代の詩歌の授業の話しを書こうとして、(賢治や高村光太郎ではなく)何故か好きでもなかった放哉の句を先に思い出したのか、不思議でもある。

今、もしまた国語の授業でこの句について、何をや思うのかと教師から尋ねられたら、もしかしたらこんな話しをするだろうか。

戦国時代のまだ前、室町の頃、世は荒び飢饉や疫病で人々は飢え苦しんでいたその時、街外れの旧い寺院の前に人だかりの列ができている。僧たちが大鍋から杓で熱く煮えた粥を配っている光景が見える。寺の慈善としておこなう炊き出しを頼りに、多くの貧しい身なりの人々が集まっている。阿鼻叫喚のような喧騒のこだまする中、列び来た人々の動めくその中に、ひとりほっそりした色白の美しい女が立っている。それはどうやら若い母親で、小さな子を背負って待っている。背中の三歳には満たないと想われる幼子は、今は屈託なくまだ健やかに見えるが、母親のほうはすっかり衰弱しきっている。母親の番が来た。

『椀はどうした』

粥の入った杓を差し出しながら僧が尋ねる。母親は、
『椀を持ってはおりませんどうかこの手へ下さいませ。』

そう答えると、僧は一瞬とまどったがもとの押し黙った表情に戻り、煮えたぎった粥をその白く痩せ細った両のうてなに注ぎ再び合掌した。

数日後、あの幼子は誰かに引き取られたのか姿は見えない。この寺からいくばくも離れていない街の裏小路に息絶えた母親の顔は眠るように安らかに見えた。


無辺の器となり放哉の受けたものを見ている。




…§…


散文(批評随筆小説等) 俳句の授業② Copyright カスラ 2007-04-06 10:30:21
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