美しい朝についての記述
芳賀梨花子

昭和44年3月、神田駿河台の山の上ホテルの一室で父とふたり。曇った窓ガラスを掌でふくと、夕闇の学生街に純白の椿が空から無数に落ちてきた。近所の氷室さんちのおじいさんが丹精込めた庭に咲く八重の、あの白い椿のような、牡丹と見まがうほどの雪が、血を流さずに降る。路上にはなにかと戦う人たちがいて、純白の静かな夜は部屋の中にだけあって、窓辺で手を繋ぐ私たちは確かに春先の雪だった。

翌朝、母が入院している病院へと続く道は、無数の靴跡と血痕で、湿った重い雪が溶けかけて、昨日の夜が薄汚れてそこに横たわっているようで「怖いかい?」と父が聞いたので「だいじょうぶ」と答えた。路面がしゃくしゃくと鳴き、今朝の足跡が生まれる。街路樹から落ちる雪はもう寒椿でも牡丹のようでもなく、それでも今朝の足跡さえ消し去り、吹き溜まりには堆く純白のままの雪があった。

八幡様の銀杏の木。枝だけになって、裏八幡から階段を登ってお参りを済ませた私の上にどんよりとした空がある。一歩一歩とそんな空から遠ざかる母になった私をそっけなく見下ろす。お正月の賑わいが過ぎた朝に牡丹園に行くのが習慣になったのはいつからだろう。改築された舞殿はあまり風景に溶け込んでいるようには思えなくて、鳩も居心地が悪そうで、裏山から飛び立った猛禽類の鳶が上昇気流を探している。こうこうと森の中から冬眠しないリスが鳴く。私は歩く。参道の石畳を歩く。見慣れた紅い太鼓橋の向こうに、やはり見慣れた信号と団蔓、その先にこれから日常を迎える、見慣れているはずの町があり、私は手前を左に折れ、池に沿ってゆっくり歩いていると、池の鯉などは餌が欲しいと私の影を追うのだった。

私は求められると戸惑う。寒牡丹は奪われた結果だ。春に蕾を毟られ、夏には葉を毟られる寒牡丹は人の手をなくしては咲けないけれど、多分、孤独だ。吐く息が白く、手袋を忘れた手が冷えてしまった。そうなると否応もなく思い出すのは温もりで、その翌朝の無数の靴跡と血痕。なにかと戦っていた人は無数で、兵などはどこにもいない。みんな寒牡丹の様で、春先の雪の様には生きられない。あの朝は私にとって美しい記憶になって、誰かの記憶が踏みにじられている。なにかと戦うということは、多かれ少なかれそういうことなのかもしれない。暖冬の寒牡丹は淋しそうに、それでも藁の囲いに守られていた。



自由詩 美しい朝についての記述 Copyright 芳賀梨花子 2007-04-04 12:29:52
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