とても悲しい
白寿

「なぜ、こいをする? なぜ、あいするの?」
わたしは、じぶんがかわいくてしかたがないからです。
わたしは、じぶんだけはしあわにいきていたいのです。
だから、ひとにこいをしてあいするの。
じぶんをだいじにあいしてくれますようにと
ねがいをこめてだきしめているの。
それではいけないとわかっている。
きっとだれよりもわかっている。

わたしは、あいをあたえるもなにも、それどころか
むねのうちにかがやいているすべてのにんげんのあいを
むしりとってしまいたいとおもっている。
わたしは、ひまじんです。そして、ひどくれいこくです。
あさましく、とてもかなしいそんざいです。
それはわたしが、あたえるものを
なにひとつもたないぬすびとだからです。
しじゅうあいをごうだつすることの
さんだんによねんがありません。
 
わたしには、そしてこのよには、
じこあいしかそんざいしないようにおもいます。
だからでしょうか、ほとけのこえもかみのおぼしめしも、
わたしのこころにはまっくろにうつります。
いつくしみのことばやおみちびきのひかりでさえ
えらばれしものたちのじこけんじよくをみたすための
おしつけにしかかんじることができません。

わたしがいっていることはまちがっていますか?
まちがっているのでしょう……。
そうでなければ、こころがくされてはれつして
いつもちまみれであることのせつめいがつなかい。
じごくはてんごく、てんごくはじごく。ははははは。
そんなものはじめからどこにもないよ。
 
きみらもじこあいのそんざいをかんじているの?
それをしっていてなお、おもいのままにあいをささやき、
なんのざいあくかんもなく、おもいをくちにだしているのなら
わたしからすればきみらはようかいです。
しょうじきなところ、わたしはきみらがときどきこわい。
 
わたしはおさけをのみたい。
わたしはねむりたい。
わたしはいきにくい。
わたしはにんげんのつみをゆるせずにいる。
私は自分の罪を許せずにいる。


自由詩 とても悲しい Copyright 白寿 2007-04-03 19:39:17
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