あるメルヒェン
シリ・カゲル
動物たちの暮らす森に、一匹のイボガエルが住んでいました。彼女には悩みがありました。からだのあちこちにあるイボから、いつもミルク色のべとべとがしみ出していて、そのべとべとが体に触れる草花や、遊ぼうと近寄ってくる昆虫たちを溶かしてしまうのでした。それで、いつもイボガエルはひとりぼっちでした。
けれども、土曜日の夜だけは特別でした。森の真ん中には動物たちのためのレストランがあり、そこには小さなステージがしつらえてありました。土曜日になると、森の動物たちはそれぞれに着飾って、レストランに集まってくるのです。イボガエルはステージの横の控え室でべとべとを拭き取り、できるだけ体をきれいにしてから、たくさん並んでいる楽器のうちのひとつを選び取り、ステージにあがるのでした。イボガエルは楽器が得意でした。ギターでも、アコーディオンでもなんでも演奏することができました。森の動物たちは、イボガエルがべとべとをうっすらと浮かべているのも目に入らない様子で、彼女こそ本当の音楽家だと思い、うっとりと音楽に耳を傾け、おいしい食事と楽しい話題に興じるのでした。
夏が過ぎ、秋がやって来ようとしていました。その日は朝からじめじめとした南風が吹き、普段は涼しい森の木陰を居心地の悪い場所に変えていました。イボガエルは湖のほとりの流木に腰かけながら、今夜のステージの題目は何にしようかしらと考えていました。音楽の事を考えているときが、イボガエルにとって一番幸せなときでした。赤トンボがイボガエルの頭上を三度旋回し、どこかへ飛び去っていきました。
お昼を過ぎた頃、森に雨が降り出しました。急に空が真っ暗になり、そうかと思うとピカピカと怪しく光りだし、轟音が森を包み込みました。どこか遠くの方で、樹がバリバリと音をたてて倒れるのが聞こえてきました。風がビュウビュウと吹き、森の樹を激しく揺らします。嵐がやって来たのでした。イボガエルは急いで家に帰りました。
家の中から外を眺めながら、イボガエルはステージの事が気になっていました。吹きすさぶ風は樹木をなぎ倒さんばかりで、横殴りの雨はしだれた草花にさらに痛めつけようと降りかかってきます。稲光りのたびにイボガエルは頬をひっぱたかれたかのような感覚になりました。雷がステージに落ちたりでもしたら大変なことです。イボガエルはガタガタと震えだしました。彼女はこの突然の暴力に何もできない自分を感じながら、ただ早く過ぎ去ってくれと、それだけを祈り、目をつぶって嵐が止むのを待っていました。
嵐がくぐもった声をあげ、そして突然止んだとき、イボガエルはくたくたでした。それでもステージの状態を確かめなければなりません。イボガエルはからだじゅうのイボというイボからべとべとをたれ流しながら、森の真ん中へと走りました。
ステージは跡形もないほど粉々に砕け散っていました。突き立てる強風によって、幕はずたずたに切り裂かれていました。楽器のたくさん並んだ控え室も、無惨な骨組みをさらしていました。イボガエルが長い間かかって集めた楽器も、バラバラに飛び散り、どれも使い物にならなくなっていました。
そしてイボガエルは楽器だけでなく、自分までもがなくなってしまっているのを感じました。これからも当然続くと思っていたすべてのことが終わってしまい、あとに残された彼女にはもう何をやろうという気も残されていませんでした。自分がいけないんだわ、と彼女は思いました。自分が嵐に対して何の準備もしていなかったから。森に嵐がやってくるなんて思ってもみなかったから。
それからしばらく、森では音楽のない生活が続きました。イボガエルの姿も見かけませんでした。森全体にぎすぎすとした空気が流れ、動物たちのかわす会話も挨拶程度の味気ないものに変わっていきました。そこで、嵐のときにしっぽを切られた一匹のトカゲが、ついにしびれを切らせてイボガエルの家を訪れました。
体中にミルク色のべとべとがこびりついて、イボガエルはまるで白い殻に被われたように変わり果てた姿になっていました。それでも彼女はそんな外見は気にも留めない様子でお茶の準備をしていました。
「お客さんなんて珍しいわね。お茶でも御一緒にいかが?」
しっぽのないトカゲはテーブルセットに腰掛け、紅茶とビスケットがテーブルに並べられるのを黙って待っていました。白いイボガエルが目の前の席につくと、しっぽのないトカゲは持ってきたものを静かにテーブルのうえに差し出しました。
金属の塊は窓から差し込む光を受けてキラキラと輝きました。二枚の長方形の板金を張り合わせて作った細長い楽器。その長いほうの両側面にいくつも開いた空気穴から、今にも楽しい音楽がこぼれだしそうです。森のみんなが待ちわびている、楽しい音楽が。
「ステージの残骸の中から見つけたんだ。ごらん、まるであんな恐ろしい出来事なんてなかったみたいにピッカピカに輝いてるだろう? だからこんな」と言ってトカゲは自分のちぎれたしっぽをぶるんと振りました。「僕でも見つけることができたんだ。ギターやアコーディオンや、その他の楽器は全部いかれちゃっていたけど、これだけはそっくりそのまま無事だったよ」
イボガエルはテーブルの上のハーモニカを手に取りました。彼女の心とは対照的に、驚くほど軽々としています。動かすと光の角度が変わり、鋼の表面が七色に変化します。
「嵐にあってもへっちゃらなんてスゴイ楽器だね。きっと頑丈にできているんだ。僕にはなんて名前で、どうやって演奏するのかわからないけれど、君はこの森でたったひとりの音楽家だからわかるだろう? どうだろう、また昔のように土曜の晩に音楽会を開いてくれないかな?」そして、しっぽを切られたトカゲはこう続けました。「もう忘れなよ。悪いのはすべて嵐のほうだ。君じゃあない」
いままでイボガエルは口先だけの慰めや、そこに隠された好奇の眼差しにうんざりしていました。しかし、しっぽのないトカゲの発する言葉のひとつひとつは、なんて嫌味がないのでしょう。そう思うと、イボガエルは体がすっかり軽くなったように感じました。彼女は目をつぶってハーモニカを吹いてみました。透き通るような音色が涼やかな森のそよ風に乗って流れていきました。